べルリオーズの幻想交響曲。オーケストラと名のつく団体であれば、一度はコンサートで取り上げたことがあるであろう、前期ロマン派を代表する名曲。この曲はまた、古今東西のあらゆる指揮者がレコーディングに取り上げており、98年の秋の時点で生きているディスクの数は50種類以上にものぼっている。
そして、標題音楽だけあって指揮者の解釈も様々で、同じオーケストラが演奏していても指揮者によって(この曲は特に)ずいぶん違った印象を受けるものである。そこで、「幻想」を同じオーケストラが演奏したものを取り上げて、指揮者によってこの曲がどう違って料理されるかということを、ベルリンフィル4種類のソースを使って比較してみたい。
取り上げるのは、同じべルリンフィルハーモニー管弦楽団の「幻想」の演奏のうち、(1)ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮の75年録音盤、(2)ダニエル・バレンボイム指揮の84年録音盤、(3)ジェームズ・レヴァイン指揮の90年録音盤、そして、(4)サイモン・ ラトル指揮の97年ライヴ(WOWOWが放映した映像)という、 時を隔てた4種類の演奏である。

渡邊 重之
カラヤン盤は、耽美的ともいえる美しい仕上がりと、金管の派手さが際だっている。オケを去る直前のジェームズ・ゴールウェイのフルートの華麗な音色も聴くことができ、木管群全体としてもその美しさは随一である。ただ、第4楽章の最後などあれっと思うほどあっさり終わってみたり、第5楽章のいささか悪趣味な鐘の音など、カラヤン独自の美学に貫かれた演奏で、賛否両論があるだろう。マスタリングにおいて、本来のバランスを無視して特定の楽器を際だたせたりする傾向もあってライヴ感は全くないが、聴かせどころを心得た演奏だとは思う。発売当時初めて聴いたときには、それまで出ていたディスクと比較して、その迫力に圧倒されたものである。
バレンボイム盤は、録音の良さと第3楽章最後のティンパニの迫力が当時評判になった演奏である。たしかソニー(CBS)レーベルにベルリンフィルが初登場となった録音だったと記憶しているが、残響が多くホールの客席で聴く感じの録音である。また、バレンボイムの他の曲の演奏でもよくあるように、全体に緩急の変化が激しく(特に終楽章コーダの加速など)、ライヴ感に満ちている。ただ、第4楽章の行進はずいぶんおとなしく、あっさりとしている。
レヴァイン盤は、金管をはじめとした各楽器の音色の生々しさが際だち、目の前でオケが鳴っている感じの録音である。ただ実際に、フォルテでは楽器を鳴らしたいだけ鳴らせているように聴こえる。全体に、曲の流れを重視した演奏であるが、なかなか熱い演奏でもある。

ラトル指揮のものは、ダイナミックスや緩急の切替が自然であってしかも的を得ていて、音楽が心にすうっとしみこんでくる演奏である。指揮者や奏者の表情・しぐさなどが見える映像の強みもあるが、それを省いても最も感動的な名演だと思う.WOWOWに加入していてよかったと思ったものである(このところWOWOWはべルリンフィルの中継をやらなくなってしまったが)。また、コルネットやアルトト口ンボーンの使用、鐘や4人のティンパニ奏者などの様子が画面で確認できて楽しい。あまりやる気がなくてもある程度の演奏ができてしまうべルリンフィルが、本当に乗りに乗ったときの熱演が見られる。
   
次に、それぞれの演奏の所要時間を見てみよう。
 
   
楽章ごとの演奏所要時間
 
 
第一楽章
第二楽章
第三楽章
第四楽章
第五楽章
カラヤン
1975
14'22"
6'14"
16'40"
4'33"
10'47"
52'36"
バレンボイム
1984
15'59"
(14'30")
6'42"
17'13"
4'54"
9'55"
54'43"
(53'14")
レヴァイン
1990
16'30"
(14'23")
6'05"
16'29"
7'12"
(5'06")
10'00"
55'46"
(52'03")
ラトル
1997
15'50"
(14'18")
6'18"
16'37"
6'56"
(4'50")
9'40"
55'21"
(51'43")
第一楽章と第四楽章は「繰り返し」をやるかやらないかで時間が変わってくる.そこで演奏時間を正確に比較するため、繰り返しを行っている場合はそれを除いた時間を()内に表示した
 
第1楽章は全体としては所要時間にそんなに差はない。ただ、カラヤンとレヴァインがテンポを必要最小限にしか動かしていないのに対し、バレンボイムとラトルの演奏では緩急の幅がより広い。「恋人の主題」が初めて登場する部分はレヴァインが最もゆったりやっていて、カラヤン、ラトル、バレンボイムの順に速くなる。ラトルとバレンボイムは、金管が加わった最大のクライマックス後半の加速の激しさが目立つ。

第2楽章はバレンボイムのゆっくりさとレヴァインの速さが際だっている。レヴァインはワルツ前半はもう少しゆっくりの方が・・・という思いがするほどである。ラトルはテンポの揺らし方の幅が大きい。ただ、バレンボイムもコーダの加速は相当であるし、カラヤンとラトルは後半の速いワルツになってからのスピードが激しく、特にラトルの加速感がすさまじい。

第3楽章は全体の所要時間から比べると各演奏にそんなに差はないように思えるが、細部のスピードはかなり違っている。例えば、冒頭のコーラングレと舞台裏のオーボエの掛け合いの部分、弦の主旋律が現れるまでの時間でみると、バレンボイム、レヴァイン、ラトルの3人は2分以上かかっているのに対し、カラ ヤンは何と1分40秒余りで演奏している。また、中盤の最も盛り上がる部分(高弦の激しいきざみの中で低弦がリズミカルな旋律を歌う部分。譜例)では、カラヤン、レヴァイン、ラトルがゆったり堂々とやっているのに対し、バレンボイムはかなり快速に走っている。

第4楽章はカラヤンが最も速く、続いてラトル、バレンボイム、レヴァインの順。この楽章の速度表示は「Allegro non troppo(速く(しかし)急ぎ過ぎずに)」である。したがって「Allegro」重視のカラヤンと「non troppo」重視のレヴァインといったところか。

第5楽章はラトルが最も速く、カラヤンが最も遅い。その差は何と1分以上ある。特にラトルは「魔女のロンド」以降のスピードが激しく「これ以上速くするとアンサンブルが崩壊するかも」という一歩手前のテンポで見事に突っ走っており、その躍動感はすごい。また、冒頭からしばらくして出てくる木管とホルンが鶏の泣き声をまねるところでは、バレンボイムのあまりの生きのよさにびっくりさせられた。また、コーダへの加速と最後のスピードはバレンボイムもラトルに負けず劣らず速かった。カラヤンは第1楽章と同様に、テンポの変化も最も少なかった。

つづいて、ベルリオーズのオリジナルのスコアがどう実践されているかを見てみよう。
まず、先に少し触れた「繰り返し」について比較してみる。べルリオーズのスコアには、第1楽章の「恋人の主題」の提示部分(72小節〜167小節。時間にして約1分半)と、第4楽章の 冒頭から華やかな行進曲の途中まで(冒頭〜77小節。時間にして約2分)という2つの部分に「繰り返し」の指定がある、この「繰り返し」はかつてはほとんど行われなかったが、最近のオリジナル重視の傾向の中でこれを行う指揮者が増えている。
第1楽章は、「恋人の主題」が初めて登場し、主人公がその恋人に心を揺さぶられるという部分であり、「繰り返し」にはそれなりに意味があると思われる。ただ、第4楽章の「繰り返し」は、遠くから処刑の隊列が近づいてきて、やがてそれが眼前に現れて堂々とした行進曲が華やかに奏せられているその途中で、突如静かになって冒頭の遠いティンパ二の轟きが戻ってくるのは、やや唐突な印象も与えられる。賛否両論があるだろう。
そして、4つの演奏の中では、バレンボイムが第1楽章の繰り返しのみを行い、レヴァインとラトルは2箇所とも繰り返しを行っている。
また、ラトルの演奏では、第2楽章でコルネットにオブリガート旋律を吹かせるということをしている。このオブリガートの吹奏については、古楽器を使用してオリジナル色を強めたガーディナー盤(もちろんベルリンフィルではないが)などでも聴けるように、最近しばしば行われるようになった。ただ、このコルネットの旋律は、楽章を通じけっこう自由に動きまわるので、改訂版による「普通の」演奏に慣れた耳にはいささか奇異に聴こえるかもしれない。しかし、例えば主ワルツの再現部分でこのオブリガートが響く箇所(譜例、大きい音符が主旋律で小さい音符がオブリガート)など、えも言われぬ美しさが漂い、「普通の」演奏では物足りなくなってくるから不思議だ(ラトルの演奏でこのコルネットを吹くマルティン・クレッツァーのなんと美しい音色!)。

「幻想」といえば、終楽章の「怒りの日」の主題の直前に登場し、そのあと数回鳴り響く鐘の音(C音とG音の2種)がよく話題になる。弔いの鐘をあらわすものらしいが、ベルリオーズ自身スコアにちゃんと「鐘(cloche)」と指定している。したがって、この音をどんな「鐘」(それとも楽器や道具)を使ってどんな音色で鳴らすかは、指揮者の趣味で大きく変わってくるわけだ(なお、スコアには、「2台の大きな鐘が用意できない場合はピアノで代用してもよい」と書かれているが、実際にピアノでやったのは見たことがない)。
さて、今回の比較の中では、まずカラヤンが凝ったことをやっている。それは、教会の本物の鐘の音を録音してきて、演奏にミックスしているのだ。オケの演奏収録中にその鐘の録音を流しながらレコーディングしたのであろうか。最初にこのディスクを聴いたときには驚き感動したものだが、よく聴くといかにも合成した音で妙にその部分だけ残響が多いので、いささか興ざめの感は免れない。ただ、まさに大聖堂の荘厳な鐘の音そのものなので、悪夢的な恐ろしさが最も真に迫ってくることも事実だ(そういえば後年同じように、現在のベルリンフィルのシェフ、クラウディオ・アバドも広島の鐘か何かの音を使っていたっけ)。
他の指揮者の演奏は、何か「鐘」らしき楽器(道具)に別の楽器を組み合わせて(音程を補強する意味からか?)一緒に鳴らしているようだ。中でもバレンボイムの演奏では、どう聴いてもオルガンのペダルの音を一緒に弾かせているようでユニークなアイデアだと思った。しっかり確認できたのは、当然ながら映像収録のラトル指揮の演奏で、いわゆる西洋の「鐘」(クリスマスの飾 り付けに使うような形の鐘の大きなやつ)と何か鉄板をぶら下げたような楽器(道具?)を併用して叩かせていた。
音色はバレンボイムが最もくすんだ渋い音で、ラトルが最も明るめの音であった。なお、ラトル指揮の演奏は楽器の種類や奏者の様子がわかってよいのだが、この鐘の部分に限っては映像なしで耳を澄まして聴いた方が曲により入り込めるものだ、とあらためて感じた。

ほかに、各演奏の中でアレッと思う部分がいくつかあったので拾ってみる。
まず、楽譜に書いてないことをやっている例としては、次のようなものがあった。
第5楽章の「鐘」の登場の直前、あとで出てくる「魔女の口ンド」の主題が一瞬だけ顔を出し、それがすぐ低弦によってうち消されるところで、バレンボイムは、音楽を一瞬中断させている(譜例、斜線部分)。「ロンド」主題をうち消す低弦をより印象づける狙いだろうか。
また、バレンボイムは「鐘」の音が登場する最初の部分がいやにおとなしい。カラヤンなどのようにいきなり大音量で鐘が鳴ると思っていると、すこしアレッと思う。ただ、よくスコアを見ると、音量の指定はフォルテなのだが、カッコ書きで「舞台の後方から(derrièrela scène)」と書いてあり、実はこの音量が本当なのかとも思われるのだ(ライヴで、実際に舞台裏で鐘をたたかせているのはあまり見たことないが)。となると、この箇所はあまり大きな音で響かせない方がいいのか…。ちなみに、バレンボイムの演奏では「怒りの日」の旋律が始まって以降の鐘の音はなぜかかなり大きくしているが。
また、第2楽章、序奏のあとワルツが2回繰り返されるところで、スコアによると1回目は旋律の途中で「rall.」の指示があり少し テンポを落とすようになっているが、2回目の同じ箇所は「sans retenir」と書いて今度はテンポを落とさないようにわざわざ指示してある(譜例)。ところがカラヤンの演奏では、この2回目も明らかにテンポを少し落としている。そして、よくよく聴いてみると、バレンボイムやレヴァインの演奏でも―瞬テンポを落としそうになっているように聴こえるのだ!多分これは指揮者の指示というよりも、演奏する側が自然にそうやってしまったのだと思うが、思わずそうしてしまう演奏者の気持ちがわかってなかなかおもしろかった。

少々蛇足になるが、明らかに演奏者のミスと思われる箇所もあった。
ラトルの演奏の中では、第4楽章締めのファンファーレの直前、ドラムロールだけになる部分で、金管(ホルンか?)が1小節早く飛び出してしまっている(譜例、矢印の部分が1小節速く吹かれている)。この楽章終了後のラトルの表情が心なしか憮然としているのがおもしろい(ただ、こんなミスはライヴにはつきもので、演奏全体の素晴らしさに全く影響を及ぼすものではないが)。
また、カラヤンの録音では、第1楽章の「恋人の主題」提示部の後半、繰り返し記号の直前の最も盛り上がったところでティンパニが間違って2小節早く飛び出してしまっている(譜例、Timb.がティンパニ。矢印の箇所で出てしまっている)。なんとか繕ってごまかしてはいるがフォルテなのでよく目立ち、これがそのままレコードになってしまっているのが信じられなかった。完壁主義者カラヤンとよくいわれるが、マスタリングのミスとも思えないこの部分をどうして録り直さなかったのか不思議である。

このように、4つの演奏の一部を比較しただけでも、この曲にはいかに色々なやり方があるかということがわかった。
もちろんベルリンフィル以外にも、本当に様々なオーケストラが様々な指揮者で(しかも多くは複数回)この「幻想」をレコーディングしているわけで、それらを(前記の箇所だけでも)聴き比べていただけば、いかにいろんな料理の仕方が可能かということが、さらにわかっていただけると思う。そしてその結果、誰が包丁を入れようとも、この「幻想」という曲が、本当に優れた素材であるということも感じていただけるだろう。

さて、わがオケの今日の演奏では、尾崎シェフがラトルと同様に、ベルリオーズのオリジナルの素材を生かして料理する予定である。はたして、ラトルのように大満足のディナーとなるかどうか、期待と不安が半々である。
ちなみに「鐘」はどんな材料を使うかというと……ナイショ にしておきます。
(1999年2月)