マーラーの第7交響曲は今更言うまでもなく、マーラーの全作品の中でも最も理解しにくい曲である。各楽章、特に第1楽章の構成が大変に複雑な上に、各楽章間の連結も一二度聴いただけでは到底理解不能で、殊に終楽章の異様なまでの躁状態は解釈の困難さを決定的なものにしており、第6や第9のような深刻なマーラーを愛する人からも敬遠されがちである。現にこの終楽章をして「マーラーの作曲した最も価値のない音楽」とまで評する評論家もいるほどだ。構成としても、精神内容としても上記の如く理解が困難であるのに加え、第7交響曲は勿論それ単独としてみても十分傑作ではあるのだが、彼の人生と作曲の歩みを見据えた上でアプローチしないとどうしても理解できないところがあるように思われる。そこで本解説では、第7の構成や精神内容についての解説を記す前に、駆け足でマーラーの第7までの歩みを実人生と交響曲の作曲の側面から簡単に見ていくという構成をとった。当然ながら、これはマーラーの第7までの歩みに関しての、唯一絶対の解答ではなく、「彼が最も言いたかったであろう」と筆者が考えていることを主軸とした一つの解釈に過ぎない。

 
高橋 広
当団コンサートマスター 
 
なお、以下の文章のうち第一部と第二部は、かつて2004年1月にオストメールフィルにてマーラー第10全曲版を演奏した時の解説に大幅に手を加えたものである。
   
汝は呪われし者どもを愛するか
我に語れ、赦され得ぬ者を汝は知るや
          −ボォドレェル
   

 グスタフ・マーラーは1860年7月7日、プラハとヴィーンの間にあるイーグラウ近くのカリシュトで生まれた。両親はその地方のユダヤ人としては珍しく富裕であって、父ベルンハルトは貧しい中から必死の努力でのし上がった立志伝中の人物であった。カリシュトは豊かな自然に取り巻かれ、また近くにはハプスブルク軍の兵舎があり、彼の家にはそこで吹き鳴らされる軍隊ラッパの音が、鳥の声、風の音、動物の嘶きなどの自然の音と共に何の違和感もなく並列的に聴こえてきたが、それは彼の音楽へのあり方、作品にも深い影響を与えている。また、彼の10数人いた彼の兄弟の大半が幼時のうちに死んでいることも同様に彼の音楽、そして人生観に暗い影を落としている。彼は少年の時、大きくなったら何になりたいかという教師の問いに「殉教者!」と答えたという逸話も後年の彼を彷彿とさせる。その時から彼は既に自らが「呪われし者」「赦され得ぬ者」であることを自覚していたのではあるまいか。

 カリシュトで優れた音楽への才能を発揮したグスタフは1875年、当時中央ヨーロッパでは最大の都市であり、音楽を初めとする文化、政治の中心であったヴィーンに赴き、同地の音楽院に入学する。ヴァーグナーとブルックナーに強い影響を受け、作曲家として身を立てたいという願いをもち、作曲家としてたっていくためにはどうしても必要だった金を得るため、1881年、ヴィーン楽友協会の奨学金審議会に最初の本格的な作品「嘆きの歌」を提出するが、当時反ヴァーグナーの牙城であったヴィーンでヴァーグナー風のカンタータが受け入れられる筈もなく(19世紀後半のドイツ楽壇はシューマン−メンデルスゾーンの流派を継ぐブラームスを戴く派と、リストの薫陶を受けたヴァーグナーを信奉する一群の人々という二大派閥に分断され、両派の間で不毛な、そして烈しい対立・抗争が繰り返されていた)、あっさり拒否される。奨学金を手にすることが出来なかった彼は生活のため、やむなく指揮者としてキャリアを積み始める。

 オルミュッツ、カッセル、ライプツィヒ、ブタペスト、ハンブルクの歌劇場の指揮者として順調にキャリアを積んでいった彼は作曲のみならず、指揮者としてもずば抜けた才能を現し、「嘆きの歌」を拒否したブラームス派の領袖ブラームスも彼の指揮する「ドン・ジョヴァンニ」に感動し、「これまでドンジョヴァンニの演奏は余りにひどく、それを味わうには総譜を読むしかなかったが、いまや完全な「ドン・ジョヴァンニ」をマーラーの指揮で聴く事が出来る」とまで絶賛した。そして彼の実力を無視できなくなったハプスブルク帝国の首都ヴィーンの宮廷歌劇場―当時の世界楽壇の頂点であった―も彼に食指を伸ばし、ユダヤ教からカソリックへの改宗を条件に1897年、同歌劇場の指揮者となり、10月には音楽監督に任命された。正に指揮者としては栄光の頂点にたったのである。

 彼はその栄光に安住することなく、苛烈な改革を推し進めた。旧態依然とした手法に拘る歌手やスタッフを次々に解雇し、若く才能溢れる人々を登用していき、それによりヴィーン宮廷歌劇場の輝かしい歴史の頂点を築き上げる事となったのである。更に生活のリズムが安定してきたことにより、夏の休暇に避暑地で作曲に専念する事も可能となり、コンスタントに巨大な作品群が生み出されるようになった。それと同時に彼は私生活でも幸福に恵まれた。ヴィーン随一の美女、才媛である20歳以上も年下のアルマ・シントラーと恋におち、出会って一ヶ月足らずで婚約、そして半年もせぬうちに結婚し、二児を儲けたのである。

 そもそもヴィーンの歌劇場の監督というのは極めて困難な役職であり、無数の陰謀や讒言と絶えず闘わねばならず、後年その地位に就いたあの「帝王」カラヤンでさえ、7年しかこの地位を維持することが出来なかった程である。しかしマーラーは不屈の闘志で10年にわたりこの地位に君臨してきたのであった。しかし彼の苛烈な行動に不満を抱く人々も多かった。また、ハプスブルク帝国の法改正に伴うユダヤ人の社会進出、特に芸術・学問の世界における進出を快く思わない反ユダヤの風潮は、知的職業従事者のユダヤ人占有率が極端に高かったヴィーンでは特に苛烈であった。そもそもマーラーのようなユダヤ人が宮廷歌劇場の監督になること自体、ユダヤ人に反感をもつ多くの市民にとって極めて衝撃的な事件であった(更にいえば、彼の出身地であるボヘミアではユダヤ人は職業選択の自由もなく、小学校を卒業していないユダヤ人は結婚さえ認められていなかったのである)。解雇された歌手は彼を「ユダヤの黄色い猿」と形容したし、彼のヴァーグナー演奏は、特に根拠もなく「ユダヤ風」と新聞に書きたてられた。そういった不穏な状況の中、陰謀に巻き込まれた彼は、1907年、ヴィーン宮廷歌劇場の監督を辞任せざるを得ない状況に追い込まれる。更に同年長女のマリア・アンナが猩紅熱とジフテリアを併発して夭折、追い討ちをかけるように、彼自身も心臓病の診断を下され、余命いくばくもないことを宣告されるのである。

 更に余りにも年が離れすぎた、しかも自らの才能に絶大な自信を持つ妻アルマとの間にも亀裂が入ったマーラーは心身ともに傷つき、休息が必要だったにもかかわらず、経済的な事情、さらにはメンツの問題もあり、無理を承知で新大陸アメリカはニューヨークのメトロポリタン歌劇場の監督の地位を引き受け、ヨーロッパとアメリカを往復する、これまで以上に肉体的に負担のかかる生活を始めた。また彼が監督になった直後に赴任したメトロポリタン歌劇場のイタリア人支配人は、新進のイタリア人指揮者トスカニーニにマーラーの得意演目を指揮させるなど、マーラーの名声とプライドを傷つけるような行動を繰り返し、彼の苛立ちを一層深くさせた。しかも1910年の夏、妻アルマの不貞までも彼は知ってしまう。満身創痍の彼はフロイトの診断を受け、どうにか精神的には持ち直すものの、肉体的には既に限界を超えていた。1911年2月のニューヨークでの演奏会を終えた彼は、連鎖状球菌性咽喉カタルにかかり、パリでの治療もむなしく、5月18日、51歳の誕生日を目前にヴィーンにて没した。最後の言葉は「モォツァルト!」であったと伝えられている。

   
   
ひとつの苦痛の原因をもとめての探求、格闘、模索、
その原因にたいする霧のなかに分け入っての弁証法的挑戦
               −トーマス・マン
   

 マーラーはその全創作期を通じ、ひたすら生とは何か、死とは何か、神とは何か、自然とは何かを追及し続けた。その過程でいくつかの変遷を経てはいるものの、その思索の切実さ、誠実さは変ることはなかった。結局彼の全作品は「人は何のために生きるのか」「死後の生とは存在するのか」「人間に救済はあり得るのか」という問いと答えの、彼の生涯のそれぞれの地点における壮大なヴァリエーションであったといえる。彼の創作はほぼ交響曲と歌曲に絞られ、その両者は切っても切れない関係にあるが(第1交響曲とさすらう若人の歌、第6交響曲と亡き児らを偲ぶ歌など)、ここでは主に彼の交響曲を通して彼の歩んだ道のりを辿ってみたい。

   

第1交響曲について
 相次いだ三人の女性との実らぬ恋を創作のエネルギーに昇華させ、28歳の年に一気に完成させた第1交響曲はやや冗漫な構成ではあるものの、多くの独創性に満ちた、彼の出発点たるにふさわしい、輝かしい作品である。殆ど双生児のような歌曲「さすらう若人の歌」同様、世間の無理解や生活と必死に苦闘する青年の悲しみや怒り、挑戦、そしてこれまた彼の特徴である、自然への讃仰にも満ちている。冒頭の「自然音のように」という指定が象徴的な7オクターヴのAの音から始まる夜明けのような第一楽章(これは彼の愛読書、ジャン・パウルの畢生の大著「巨人」の冒頭のシーンにインスピレーションを得ている。「巨人」を読むとそれは一目瞭然であり、一時彼がこの曲に「巨人」の題名をつけたのも頷ける)、ユーモラスで力強い第二楽章、そして日本でもよく知られた民謡フレールジャックをそっくり短調に焼き直したメロディーが当時の聴衆の憤激を買った、グロテスクなユーモアと俗悪スレスレの甘ったるい旋律をあえて平然と用いた第三楽章、そして「嵐のように激動して」青年の怒りが炸裂、最後は圧倒的な勝利の咆哮となる終楽章からなっている。ここでの彼は、グロテスクなオブラートにくるまれているにせよ、良くも悪くも率直に、昂然と「闘争を経て歓喜に」式のベートーヴェン的モティーフを掲げ、そしてその帰結である勝利を高らかに(悪く言えば些か能天気に)謳いあげている。

第2交響曲「復活」について
 指揮者としてのマーラーを評価しつつも作曲家としてはまったく認めず、マーラーも敬意と憎悪の複雑な感情を抱いていた名指揮者ハンス・フォン・ビューロウ(初代ベルリンフィル常任。妻だったリストの娘コージマをヴァーグナーに寝取られた)の葬儀で終楽章のヒントをつかんだ第2交響曲「復活」(34歳で完成)は、彼の「第8」までの殆ど全ての作品で中心テーマとして徹底的に思索される「彼岸の世界での不滅の生はあり得るのか」という究極的な問いかけへの一つの模範解答として結実した重要な作品。第一楽章は当初交響詩「葬礼」として作曲されたもので、第1交響曲で苦闘の末、勝利をつかんだ英雄の死がいきなり描かれる。そして「彼の生涯が意味あるものであったのか」、また「意味があったとすれば彼は死後その意味に見合う、神のもとでの復活と永遠の生の獲得は為され得るのか」、を真正面から問うている。それは正に彼が生涯をかけて追求したテーゼに他ならない。優美な、しかし部分的に残酷な率直さをみせる第二楽章、歌曲集「子供の魔法の角笛」に収められたユーモラスな彼の歌曲「魚に説教する聖アントニウス」の露悪的なヴァリエーションたる第三楽章は、本筋から少し離れた間奏曲としての意味を持っており、第1楽章の切実な問いかけは、第四楽章の重要な契機を経て第五楽章にて答えられる(因みに、同じ五楽章構成の第7交響曲と第10交響曲も、やはり同様の構造を持っている)。「角笛」歌曲集からそのまま転用されたアルト独唱を伴う第四楽章「原光」(「我は神よりいでしもの、再び神のもとへと還らん」という歌詞が印象的である)は恐るべき終楽章前のひと時の安らぎを与えてくれる。そして終楽章では、生々しい最後の審判の描写を経て、「英雄(=マーラー)」の神のもとでの復活と永遠の生の獲得がクロップシュトックの復活賛歌に基づいて圧倒的に歌われるのである。この曲でも彼は、より複雑で深刻かつ雄大な構想ではあるものの、第1交響曲とほぼ同様に、死後の永世を比較的に単純に謳いあげている。この曲で得たある種の「模範解答」が次第に歪み、崩れていき、そして最後には完膚なきまでに打ち砕かれるのが、その後の彼の作品の軌跡ともいえる。

第3交響曲について
 演奏時間が「第1」50分→「第2」80分と肥大化の一途を辿った彼の作品で最大の演奏時間の作品(100分)となったのが、ヴィーン宮廷歌劇場と契約を結ぶ前年の1896年(36歳)に作曲された第3交響曲である。これは形式的にも殆どモンスターのようなソナタ形式の限界の如き、鵺のような第一楽章以下、全楽章において、自然、人生の全てを包含した全交響曲とでもいうべきものを作り上げてやろうという野心に満ちた作品となっている。当時の恋人ミルデンブルクに彼は「(第3は)世界全体を映し出すような巨大な作品」と書いているし、アルプスの山を弟子のブルーノ・ヴァルターと歩いていたおり、自然の美しさを口にしたヴァルターに「君はこれらに感動する必要は無いよ!何故ならこれらは僕がすべて第3交響曲に封じ込めたんだからね!」と叫んだという有名なエピソードからも伺える。当初は7つの楽章からなる作品を構想していたが、最終的には第七楽章「子供が私に語ること」は削除され、その削除された楽章から派生して先行する3つの楽章が作られ第4交響曲が生まれることとなる。各楽章の標題は変遷があるものの最終的には1牧神が目覚める。夏が近づいてくる、2「野の花が私に語ること」、3「森の動物たちが私に語ること」、4「人間が私に語ること」、5「天使たちが私に語ること」、6「愛が私に語ること」となっている。超絶的に長い第一楽章も力作で、精妙で神秘的な第二楽章や技法の限りを尽くした斬新で芳醇な第三楽章も見事だが、なんと言っても巨大な螺旋を一歩一歩踏みしめながら登っていき、遂に天上に至るかのような圧倒的なスケールの終楽章の感動は比類がない。彼の生前から、この楽章はベートーヴェン以来最も偉大な緩徐楽章と称えられていたそうだが、それも十分頷ける。この終楽章では、充足と悲劇が、いわば第四楽章で引用されたニーチェの「ツァラトゥストラ」の中心思想であった「永劫回帰」の如く、寄せては帰す波のように繰り返し謳われるが、最後にじっくりと噛みしめる如くに奏される充足(永世)の率直な感動は、ある意味彼としては最後の率直な、永世と救済へのクレード(信仰告白)だったともいえる。第一部にも書いたように、翌1897年、彼はユダヤ教徒であるままでは、彼が望んだ世界楽壇の頂点たるヴィーン宮廷歌劇場の指揮者としての地位を得られない事を悟り、カソリックに改宗、その甲斐あって指揮者として望みうる最高の地位の獲得に成功する。

第4交響曲について
 その3年後の1900年の夏、40歳のマーラーが完成させた第4交響曲は一転して極度に編成を絞った、演奏時間も第3の半分(彼の交響曲の中では最短)の作品である。愛くるしい第一楽章、フィドル(古い型のヴァイオリン)を奏でる死神を表す一音高く調弦したソロヴァイオリンがユーモラスな第二楽章、悠然とした美しさの第三楽章、天国での子供の喜びに満ちた生活をソプラノのソロが歌う終楽章と、どれも深刻な内容の作品の多いマーラーにしては例外的に、外面的には親しみやすい条件を備え、世間的な人気も高いが、内容的には決して一筋縄でいく作品ではない。冒頭は愛らしく鳴らされる子供の鈴は第一楽章後半で極めて騒々しく打ち鳴らされ、幼くして死を意識せざるを得ない立場におかれた子供の焦燥感や恐怖を感じさせる(これは14人もいたマーラーの兄弟たちのうち半分が幼くして死に絶えた事が影を落としていよう)し、一見ユーモラスな死神のフィドル弾きも子供に忍び寄る「死」の影を明白に暗示している。また本来この曲には第二楽章として「浮世の生活」という歌曲が組み込まれる筈だったが(結局この曲は先述の歌曲集「少年の魔法の角笛」―彼の第2から第4交響曲までとは密接にかかわりがある―に収められた)、これは飢えた少年が母親にパンを求め続け、母は乞われる度に、今小麦を刈り取っている、今パンを焼いている、と答えるが、結局パンが焼きあがった時、子供は餓死していた、という残酷な、しかしマーラーの故郷のユダヤ人の間ではそれほど珍しくない、日常の現実そのままのような物語である。この楽章は削除されたとはいえ、全曲の構成には深い意味を与えている。素晴らしく美しい第三楽章の頂点で打楽器を総動員した盛大なクライマックスが築かれるが、これは恐らくリヒャルト・シュトラウスの「死と浄化」やマーラーの最高傑作たる第9終楽章の頂点同様、作品の主人公がそこを境に―ここではマーラーが自らを仮託した子供が餓死したために―死の世界へと足を踏み入れたことを暗示している。そして終楽章で歌われる可憐な「子供が私に語ること」は、死んでいった子供が、幸い入ることの出来た天上において語った言葉なのであろう。それが証拠にこの子供は楽章の中で12回も飲食物について言及している!食べ物の事で何の憂いもなく死んでいった子供であるならば天上でかくも執拗に食物の事を繰り返し語るものではあるまい。また、その子供(マーラー)は何の為に(何の罪で)死んだのか。それはヴィーン宮廷歌劇場の監督の座を得る為に、ユダヤ教からカソリックに改宗することによって自らのユダヤ教徒としてのルーツを抹殺してしまったことへの自責の念のためではなかろうか。愛らしく天国での永世を謳いあげる表の顔を持つ第4は、マーラーが自らを重ね合わせた少年を一種生贄として抹殺(ルーツとしての信仰を捨て去った代償に)するプロセスを描いた深刻な作品であったのだ。そしてここでは既に、死後の永世というものを、第1から第3の如く単純に賛美していられない焦燥、懐疑、イロニーが影を落としている。それどころか死後の永世をパロディー化さえしてしまっており、後年より明らかになる彼の引き裂かれた心が顔を見せ始めている。

第5交響曲について
 ヴィーンで赫々たる名声を獲得した彼がヴィーン社交界の名華、アルマ・シントラーと出会い、僅か一月で婚約するに至った年の翌年、1902年に42歳のマーラーは第5交響曲を完成させた。ここからの3作、第5、第6、第7は声楽を伴わないため、中期三部作として扱われる事が多いが、むしろ前期の第2から第4と中期の第6から第8までをつなぐ転換点という位置づけの方が適切であろう。主題としては第4交響曲に既に現れていたものが使用される一方、構成としては彼の純器楽曲としての一つの頂点たる第7交響曲を先取りしたものとなっている。また、彼はこの交響曲で、声楽を伴わない純器楽のみでどこまでソナタ形式をベースにした交響曲という形式を解体しつつ発展させられるか、という壮大な実験に挑んでいる。少なくともその意味では大いに成功を収めており、この作品以降、管弦楽のみによる表現方法が一気に深化している(実際、演奏してみても、それまでの作品と、第5以降の作品の弾き応え・充実度(裏を返せば大変さ)は、全く違う)。
内容的には粛然たる葬送行進曲で幕を開け、輝かしい勝利のファンファーレで終わる点をみれば、正にベートーヴェン的な「暗黒との闘争から勝利の光へ」テーゼ―彼が基本的には追及し続けた点―に忠実なようでいて、実はテーゼそのものへの嘲笑としてのパロディーでもあるという二重の顔をもっている。この終楽章での永世と勝利は、外面的な輝かしさと華麗な熱狂性とは裏腹に、真の充実感というべきものが稀薄であって、永世や勝利というものそのものを戯画化することによって、それらの概念そのものの浅薄さを意図的に暴露しているような印象を抱かされる。ここでは、勝利が歓喜をもって表現されている事も一面真実ではありながら、最早、彼が最もピュアに信じ(或いは信じたいと願っていた)死後の永世さえもが相対化され、パロディーの対象へと堕してしまっているのである。但し、彼がこれを作曲している時にアルマと知り合い、生涯で最も幸福な時期であったことが災い?し、第1・第2楽章での息詰まるような闘争と、彼の作品でも屈指の複雑さと狂気とを持つ第3楽章までの壮絶なメッセージを受けとめるにしては、フィナーレで著しい躁状態が充満してしまい、結果として軽量級に過ぎる内容になってしまった点が惜しまれる(その点、第5にかなり近い意味内容を持つ第7交響曲の終楽章の「パロディーとしての歓喜」の悲劇性は圧倒的である)。

第6交響曲について
 1904年の夏に44歳のマーラーが完成させた第6交響曲「悲劇的」は第5とは打って変わって深刻、絶望的な作品となっている。彼の作品の中では例外的に殆ど何の救いもなく終わるが、彼を取り巻く環境としても、外面的には成功の絶頂ではあるものの(ヴィーン宮廷歌劇場での圧倒的な名声、ヴィーンで一番の才能と美貌の才女を妻にもち、二人の子宝にも恵まれた)、実際には苛烈なマーラーのやり方へのすさまじい反発が反ユダヤ運動の機運に乗じて高まり、家庭的にもアルマとのすれ違いもあり、内面的な緊張はむしろ高まっており、その高まりが作品に噴出したものと考えられる。実際彼生来の運命観とでもいうべきものを残酷なまでに生々しく表した傑作であり、彼の「運命」交響曲とでもいいうる作品である。軍隊調の死の行進の第一楽章、トリッキーな嘲笑とでもいうべき第二楽章、ぞっとするほど美しく悲しい第三楽章、そして運命との壮絶な争闘と絶対的な敗北を巨大なスケールで描いた終楽章からなっている。構成的にはほぼ完璧に古典交響曲の枠組みを堅持しながら、反面それまでの彼の作品で最も大胆な技法や実験を織り込み、何より最も壮絶なエネルギーが全篇にみなぎりわたっており、その極限的なアポロ性とデュオニソス性の相克・争闘が、この作品を空前絶後の緊張感を孕んだ大傑作たらしめている。いずれにせよこの曲では「闘争から歓喜」や「永世・救済」といったモティーフは消し飛び、徹底的な絶望と敗北、そしてそれを十分認識しながら尚も闘争を挑み続ける無尽蔵のエネルギーこそが主眼となっているのである。
以上が、第7交響曲作曲までの彼の歩み(の一つの解釈)である。

   
   
私は偽り装うことは出来ない。私は虚偽の真理のもとに、
これ以上生きていくことは出来ない。しかし私は他に
何の真理も持っていないのだ−ドストィエーフスキィ
   

 前作である第6交響曲で描かれた運命との壮絶な死闘と凄惨な敗北による悲劇絵図は、前章で述べたように崩れつつはあっても彼の基本的な「真理」ともいうべき汎神論的救済の概念とどのように折り合いをつけ得るものであろうか。容姿のみならず、多様な芸術への尖鋭な理解力と男性を惹きつけずにはおかぬ妖婦的魔力においてもヴィーン随一の美女といわれ、実際その称号にふさわしかったアルマと婚約し、世界楽壇の帝王としての地位であるハプスブルク宮廷歌劇場監督の地位をも手中に収め、正に私生活においても指揮者としても絶頂期にあって作曲された第5では、第3から第4を経て―更にいえば第5交響曲の第3楽章までの圧倒的な問いかけを経て―彼の基本ラインである死後の永世への確信が崩れてきたことへの「回答」がいわば先送りされ、異様な躁状態のうちに強引な救済と勝利が如何にもとってつけたように、しかしその贋物臭さについてそれほど深刻な懐疑を抱くことなしに謳いあげられていたが、第6での徹底的な敗北は、いうなれば第5における回答先送りのつけを払ったようなものといえるのかも知れない。とすれば、その「つけ」を払ったあとの第7交響曲において、彼はいよいよ崩れてきた「彼岸における不滅の生の獲得」への確信に対する改めての決意表明か或いは撤退宣言か、いずれにせよ旗幟を鮮明にせざるを得ない、その時の彼にとっては最終決断を下すべき局面へと至ったといえよう。

 しかも四囲の状況もマーラーには逆風であった。第7の最終的な仕上げを行った(作曲の大半は1904年から1905年にかけて行われた)翌年の1907年以降、マーラーは、必死の根回し(世俗的な努力)とユダヤ教の棄教(自己の根源の圧殺)を代償に遂に手に入れ10年のながきにわたり死守し続けた(繰り返すが、この地位はあの「帝王」カラヤンでさえ7年しか守れなかった恐ろしく妨害の多いポジションなのである)ヴィーンのハプスブルク宮廷歌劇場監督の地位を、解任という屈辱的な形で奪われ(翌年はヴィーンフィルの常任を辞任。しかも常任としての最終コンサートでの自作の第二交響曲公演の客の入りは散々だったという)、娘の一人には先立たれ、妻との溝も次第に深まり(グロピウスと妻の不倫は間もなく彼の知るところとなる)、心の拠り所を失い不安に苛まれていき、彼の内部の振子は「彼方の世界における永世」などという甘美な夢からは益々遠ざかっていくことになる。

  当初から彼が抱いていた死後の救済と永遠の安息、それは第2交響曲「復活」において高らかに表明する以前も彼の基本テーゼであり、それ以後も彼の理念のベースラインであった訳だが、彼を確実に蝕んでいく外的、内的環境の中、その不動である筈の世界観、死生観、理想に次第に不安と疑問を募らせ、それがまるっきり贋物ではないか、今まで彼が人生の全てを傾注して信奉し表現しようとした信念が実はあっけないほどに脆く儚いものに過ぎないのではないかという恐怖(それ以上に悲惨で、しかも傍目には滑稽な恐怖があるだろうか)にマーラーがとらえられていったのは当然のことといえる。それを失うことは、彼が人生を懸けて守り育み謳いあげようとした最も大切なものを失うことを意味するのだ。だからこそ、第6交響曲の次に、彼は自分の心の奥津城に大切にしまわれている宝玉が贋物だと心の奥底では薄々感づきながらも、いや感づいたからこそ余計一層それに全く気付かない時以上に烈しく、殆ど断定的に壮大な勝利の昼の讃歌をうたい、はりぼての「永遠の救済」に酔いしれざるを得ないところまで追いつめられていったのである。

 そしてその結果、第6では圧倒的な悲劇を演じきって(演じきってと形容したのは、筆者には、第6作曲段階では、マーラーは第6で描いてみせた程までには絶望的な心理状態ではなく、そこまで追い詰められてはいなかったためか、どこかにわずかではあるがあの絶対的敗北に演技のようなものが感じられるからである)みせた彼は、今度は第7と第8において(第7ではフィナーレにおいてようやく、そして第8においては全曲すべてにわたって殆ど臆面もなく)、本当に自分の信じている訳ではない、といって語弊があるならそうあって欲しいとは心の底から願いつつも、決してそうではありえない事を苦々しく知っている、虚構としての壮大な歓喜の讃歌を歌い上げる。それは純粋無垢の歓喜の歌ではなく、むしろ強迫観念としての勝利である(とはいえ、後述するように、少なくとも第7のフィナーレでは勝利が本物でないことへの十分な認識が潜在している事により、音楽がところどころ軋みをみせており、そのほころびから勝利の頌歌とは似ても似つかぬどす黒い死の嘲笑が顔を覗かせているのではあるが)。その意味でサイモン・ラトルがこの曲のフィナーレにつき、「最も悲劇的なハ長調の音楽」と述べているのは正に正鵠を得ている。彼がその偽りの仮面である、こうでありたいとは思っていてもそうではないと知ってしまった「彼岸における永世」の理念を脱ぎ捨てて、結局本当に自分が訴えたいに気付き、それを切々と語り始めるのは次作である交響曲「大地の歌」以降の至高の三部作まで俟たねばならない(より厳密にいえば、第10交響曲の第三楽章以降で最後の最も劇的な変貌が訪れるのであるが、それは今回の第7とはまた別の話である)。

 それでは第6も第7も第8も腹の底では信じていない嘘八百を並べ立てた、意味のない交響曲であるのか。断じて否である。この否定は第6の終楽章における巨大な「否」以上に強く叫ばれるだけの権利を有しているだろう。皮肉といえば皮肉な話だが、彼がストレートに勝利や救済、充足を謳った第2交響曲や第3交響曲のフィナーレ以上に、第7交響曲のフィナーレは聴くものの肺腑を深く抉る。それは、最早信じきれなくなった理念を嘲笑しパロディー化しながらも、同時にそれを信じたいという痛切な一念を、初期交響曲で高らかに謳いあげていた時よりも遙かに切実にぎりぎりのところで深く抱いているからではないだろうか。第7交響曲は、彼が生涯にわたって抱いていた理念を最も愚弄しながらも、全く同時にそれまでのどの曲よりもその理念への執着と、信じたいという切ない願いを告白するという、全く矛盾した感情の極点を融合させた、とてつもない離れ業を達成した曲なのである。

  理念への愚弄、という点に関していえば、ミハイル・バフチンがドストィエーフスキィ(マーラーが最も愛読した作家)について「ポリフォニック(多声的)」と形容したのとまったく同様の意味において、マーラーはポリフォニックな作曲家なのである。つまり、マーラーにあっては「本当に言いたい事」はたとえそれが充分に語られた時でさえ、重層的、複眼的な彼の作品の内部ではポリフォニーの声部の一つに過ぎない。ドストィエーフスキィにあっても、外面的に壮大ではあっても実は意外にホモフォニック(単声的)なトルストイなどとは異なり、しばしば彼の真の理念の代弁者(ムイシュキン、アリョーシャ、シャートフ)以上に対立的な思想の持ち主(イヴァン、キリーロフ、イポリート、そしてスタヴローギン)の方が遥かに精彩をもって描かれたり、或いは後者に完全にやりこめられ、論駁できずにただ薄ら微笑むようなシーンが頻出し、表面的には何が彼の「主声部」であるのか判然としなくなる事があるし、しかも実際彼の「主声部」よりも「副声部」の人物の思想の方が余程悪の魅力をたたえており現代人にとって蠱惑的である。マーラーがこの「ポリフォニー」の技巧を完璧に駆使することにより、第7交響曲においては、シェーンベルクら新ヴィーン楽派に深く影響を与えた管弦楽技法、絵画におけるムンクやクービンにさえ影響を与えたのではないかと思われる大胆な表現主義的傾向、アメリカのアイヴズによって完全に達成される事となる西洋音楽そのものの解体の試み、表面上熱狂的に体制翼賛的な感情を剥き出しにしながらもその下では冷ややかに全く別の事を語るショスタコーヴィチに先行する恐るべき「二重言語」、それらが渾然一体となり、彼が本当に言いたかった事やそうではないにせよ信じたいと願い、前面に据えて語ろうとした事(第6の悲劇、第7,8の勝利など)と共に、それらを平然と否定し踏みにじろうとする邪悪な恐怖や、あらゆる観念を相対化せずにはおれぬ氷のように冷ややかなイロニー、下卑た嘲笑、美と崇高、卑俗と粗野、それらすべてのグロテスクなまでの雑多な要素が奇跡的なまでに混在し、それぞれに圧倒的な存在意義を主張しながら更に全体としての価値を圧倒的に高めているのである。いやそれどころか、これらはストレートに訴えたい事だけが綿々と綴られるよりも遥かに豊かな深みと内容を得るに到ったのである。

 それだからこそ第6では、彼が必ずしも最も言いたかった事ではない、本気では信じていなかった壮絶な敗北の美学による偽悲劇と、全く偽らざる彼の生々しい感情の噴出、極端に肥大化しながらもソナタ形式の遵守という、本来確実に相容れない筈の矛盾が完璧に同居していたのであり、この第7においても、第6の気質を完全に受け継いだ第一楽章と、第8に連なっていく終楽章の擬制された勝利の謳歌という精神的な意味において全く相反する内容が、何の矛盾もなく混在し得るのである。

   
   
かつてわが空想 不敵に羽ばたき
希望に燃えたち永遠の虚空へと飛び立ち拡がりしが
今や時の渦の中、一つ一つそれらの希望は潰えされり
              −ゲーテ
   

 第一楽章は、非常に長大な序奏部(殆どブルックナー第9交響曲第一楽章に匹敵するスケールをもつといっていい)をもつ、ソナタ形式の楽章である。第一主題の萌芽ともいうべき序奏部主題を通常の管弦楽曲では殆ど用いられることのないテナーホルン(ホルンといいながらトロンボーン奏者が演奏する)が奏する。テナーホルンはこのあと何度かこの旋律で顔を出し、再現部ではバストロンボーンと圧倒的な二重奏を奏でるが、このテナーホルンこそは全曲の性格を決定付ける魔力を持っている。序奏部に話を戻すと、テナーホルン主題に続いて行進曲主題、主部第一主題予示と序奏部だけで大きくいって三つの主題が悠然と提示される。これだけ規模の大きい序奏部というのは、彼の作品でもモンスター的な第3交響曲第一楽章を除いてはまったく類をみない。音楽が漸次加速するとホルンが勇壮な第一主題を奏しようやく主部へと入るが、その直前の経過句に現れる7度の下降音形は、以後第一主題が行詰った際の「いなし」のような形で何度も現れる重要なものである。筆者はこの7度音形を、ブルックナーの第9交響曲第一楽章の悲劇的な第一主題を構成する要素の一部(19小節目からのホルンの旋律)の音形の反転ではないかと考えている。ブルックナー第9の第一楽章コーダにおいて、この音形は悲劇的絶望へと向かう階段を一歩一歩踏みしめるような箇所に現れている。その音形を、マーラーが意図的に引用して用いているとするならば、この「いなし」も実に恐るべき、残酷な意味がこめられているように感じられる。この後、後述「エアポケット」に入る直前には、反転ではなくそのものの形でトランペットが同じ音形を奏でるが、これもその意味で、その先の悲劇的な展開を予示する働きをしている。少し先走ってしまったが、副次部での第二主題は優しく震えるような繊細さに満ちている。展開部はこの両主題を軸に展開していくが、展開部の末尾において、この副次部は、マーラーの常套手段である「エアポケット(純粋な音楽的展開とは別次元にて急にひょっこりと現れる一種の無重力部分。正に「異界」といえる)」となり、とてつもなく美しい調べが始まる。ここは極めて甘美過剰のきらい無きにしもあらずではあるものの(そこがまた彼のたまらない魅力でもある)、マーラーの全作品中最も美しい旋律といえる。しかし、その時が永遠に続いて欲しいと思われるほどの、打ち震えるような美しすぎる調べが高まっていった頂点の先に広がるのは救済ではなく、やはり絶望的な奈落であり、冒頭で奏された主題を、今度は音楽が地獄の最底辺で鳴り響いているのを象徴するかのようにコントラバスやトロンボーン、バストロンボーン、テナーホルンを中心に奏でられる。次第に音楽が盛り上がって行くと、マーラーお得意の軍隊調のグロテスクな行進を思わせる音楽となる。これは彼最後の本格的な軍隊調行進曲だが、30年ほど後にヨーロッパで猩獗を極めたファシズムや全体主義、共産主義による人間性の蹂躙への恐怖に満ちたヴィジョン(予見)であったとみても決してこじつけとばかりも言い切れまい。その焦燥と恐怖が更に高まると、いよいよ死が漆黒の翼をうち広げるかの如く、第一主題が巨大に引き伸ばされ、金管によって絶望的な掛け合いがなされ、総仕上げとしてトランペットが英雄的なロングトーンを演じ、一気に加速して楽章が閉じられる。圧倒的な恐怖感に満ち溢れつつもスタイリッシュさも見事に併せもっており、素晴らしい出来のコーダである。この楽章は、第9交響曲を除けば、ほとんどあらゆる点で紛れもなく彼の全交響曲の第一楽章の中で最高の内容を誇る名曲である。

 第二楽章は第四楽章とともに「Nachtmusik 夜の音楽」と命名された楽章で、結果的にこの呼び名が曲全体の俗称ともなった。第四楽章が「夜」の内面的な面・精神的な面を謳ったとすれば、こちらはより普遍的な意味の清濁併せ呑んだ「夜」の音楽といえる。筆者はこの曲を聴く度に、夢とメールヒェンを思い浮かべる。夢とはファンタスティックな夢と悪夢としての夢との両義的なものであり、またメールヒェンというのも、ティークが自作の小品に「Naturmarchen 自然メールヒェン」と呼んだのと同様の意味で、あるところでは愛くるしくもあり、また別の側面では極めて残酷でデモーニシュでもある(例えば、ラストで幸せになる「灰かぶり」の裏で、二人の継姉は極めて無残な最後を遂げる)。二本のホルンのかけあいから始まるが、片一方にミュートをつけただけで極めてうまく遠近感が描写されており、幻想交響曲の第三楽章冒頭の牧人の信号を上回る効果がある。ホルンの応答に続き木管による森の鳥獣の語らい、弦のコル・レーニョ(弓の木の部分で弦を打つ奏法。今回ファーストヴァイオリンには一回もこれが登場せず、実に残念!!ここばかりはマーラーを恨む)による死者の舞踏など、多彩な夜のイメージが列挙され、後半のトリオ部に至っては、場末のショウホールの如き(加藤茶の十八番「ちょっとだけよぉ」のイメージそのまま)下卑た旋律を二本のチェロ独奏が奏する。ここをどれだけえげつなく演奏出来るかがこの曲の成否を決定すると筆者は勝手に思い込んでいる。後半、主部、トリオがそれぞれの特徴を遺憾なく発揮した旋律を奏でると曲はコーダに至り、再び冒頭近くの混沌とした不気味な雰囲気がたちこめる。ヴァイオリン、チェロのピチカートが半ば嘲笑するように、半ば威嚇するように下降音形で雪崩れると、最後はハープを伴ったチェロがフラジオレットを奏して終わる。楽章全体は基本的には陽気な夢が主体であるが、最後の最後で薄れ行く意識の向こうで、魔女がニヤリと笑うのが見えたような、洒落てはいるものの何とも薄気味の悪い終結である。

 第三楽章スケルツォはマーラーの作曲したあらゆる音楽の中で最も先鋭的なもののひとつである。彼のスケルツォでは最高最大のものである第5交響曲のそれには構成・規模の点で遠く及ばないものの、鮮烈な未来志向性とグロテスクな表現主義的傾向は正にマーラーの最先端をいくものだ。「Schattenhaft 影の如く」という指示のもと、非常に怪しいムードが充満する中、始めは断片に過ぎなかったワルツ主題が徐々に体を為していくと同時にグロテスクさを増していく、という構成も面白いし、後にバルトークピッチカートとして認知されるチェロ、バスの戦闘的なピチカート奏法、ティンパニやファゴットの強打による強引なギアチェンジ、弦と管で矛盾する速度指示を同時に出す実験性、「kreishend 金切り声をあげるように」というこの上なく過激な表情指示などが、この楽章の強烈な性格を形作っている。コーダではそれまで第三楽章全篇にわたって跋扈していた魑魅魍魎どもが次第に力を失い、舞台から引っ込んでいく中、パックの如き妖精が一匹、ハイドンの「驚愕」よろしくティンパニの一打ちの後、もう一つ最後のギャグを放って聴衆を驚かせ走り去る。果たして、その決めのギャグを奏するのがどのパートか、そしてそのパートが本当にお客様を腹の底から驚かすことが出来るのか。それは聴いてのお楽しみ。

 第四楽章は、第二楽章で述べたようにもうひとつの「Nachtmusik 夜の音楽」であるが、全曲の中に占める意味としては、前者よりも遙かに大きい。冒頭に「Andante amoroso 愛のアンダンテ」という非常に珍しい指示があるが、それを体現するかのようにヴァイオリンが甘美に旋律を奏し、それがことあるごとに再現するが、第6交響曲終楽章の冒頭旋律やムソルグスキィの「展覧会の絵」のプロムナードのように、いわばこの楽章の「枠主題」となっている。各ブロックが、この甘い枠主題に封じ込められているこの楽章を、第2、第5交響曲のように第五楽章へブリッジ(フィナーレの「救済」がどういう意味であれ)の意味を持つ彼の理想郷の先触れとしての表現ととるべきか、それとも枠主題の過剰な甘美さによって、彼が生涯かけて夢見た理念の虚構性を強く浮かび上がらせる構造ととらえるべきか、判断が非常に難しい。いずれの意味に解釈するにせよ、中間で二度にわたり死と恐怖の影が忍び寄っていることが明白であり、虚構ととらえるにせよ、真の理想郷ととらえるにせよ、それらは著しく脅かされる。そして二度目の恐怖を乗り越えた後、音楽は次第に浄化され、最後にはマーラーにおける最も重要な指示「ersterbend 死に逝くが如くに」が現れる。これはマーラーが彼の作品の中で本当に本当に大切な箇所(主に音楽が彼方の世界に吸い込まれ「異界」へと至る箇所)でほんの数回だけ用いた言葉であり、彼の最高傑作にして西洋音楽の究極到達点である第9交響曲のラストにも現れる指示である。しかもこの第7交響曲第四楽章でクラリネットが最後に奏する音形は、その第9交響曲ラストのヴィオラ音形と全く同一なのである。これはまさしくここにおいて、マーラーが「異界」(彼岸)へと至ったことを意味しているのである。となれば、終楽章は紛れもなく彼岸の音楽ということになろう。ではそこにおいて、第2交響曲終楽章同様、彼岸における勝利、復活が歌われるのだろうか。

 第四楽章での死による浄化を経て、第五楽章ではそれまでの不安や恐怖を吹き飛ばすような祝祭が爆発する。しかしそれは神々しい世界における頌歌というには程遠い。それは神聖な祭典というよりは、生活に打ちひしがれた人々がヨーロッパにおけるカーニヴァルや日本でいえば幕末の「ええじゃないか踊り」で一種のトランス状態に陥って悲惨な現状から目をそらして騒ぎ狂っているかのような、そういった意味での祝祭である。死の一年前、マーラーは第9交響曲完成を知らせる手紙の中で、第9は外面的には全く違うが実は第4交響曲に似ている、と述べた事があるが、私見ではむしろ第7の終楽章の意味内容が第4の終楽章に酷似しているように思われる。第4終楽章は表面的には(この楽章は当初彼がその最長の交響曲たる第3の終楽章として据えようとしていた)「子供が私に語ること」と名付けられ、アルニムが収集したドイツ民謡をもとにした詩集「子供の魔法の角笛」から採られた詩をソプラノ独唱が軽やかに歌うものである。が、この歌は天上での天使達の生活を描いている牧歌的な音楽であるかのような見せかけとは違い、歌詞の中に天使の歌にしてはやや不釣り合いなほど、執拗に「食べ物」について言及されている事から暗示されているように、実は天使の歌などではなく、それどころか現世で悲惨な境涯の中、餓死していく少年が死の瞬間に夢想するはかない幻なのである。そして第7の終楽章も、五十路を前に営々と築き上げてきた理念が今や木っ端微塵に打ち砕かれようとしている哀れな小男マーラーが、殆ど支離滅裂になりながらも、これまで抱き続けた信念こそが絶対無二の真実であると信じ込もうとした悲しい絶叫であり、しかもその信念のパロディーでもあるという点では、第4の精神と完全に軌を一にしていると思われるのである。

 ただ、マーラーの最も鋭い理解者であった哲学者アドルノが第7の終楽章に下した評価はなかなか手厳しい。「華麗な現象と中身の薄い内実との間の無力な不均衡」とこきおろした上に、見え透いた「歓喜」のフィナーレについては、「コメディーの最後における結婚のようなもの(どちらも龍村あや子訳)」とまで悪罵している。しかし第三部でも述べたように、第7の終楽章は、ストレートな「歓喜」を謳いあげると見せかけ、実は絶対的な「歓喜」を絶叫することで「per aspera ad astra 苦難を越えて栄光へ」式に「歓喜」の詩をうたうことの虚妄と野蛮を暴きたてる装置としての機能をもっている。つまり第7の終楽章は、アウシュヴィッツ以前にも(歓喜の)詩をうたうことは野蛮であったことを既に明らかに刻印しているのであって、その意味では本来なら、「アウシュヴィッツ以後、詩を書くこと」の野蛮さについて「文化批判と社会」で大いに論じているアドルノ先生のお眼鏡にかなって然るべきと思われるのだが・・・

 話がだいぶそれてしまったが、 静謐な第四楽章の終わりからすると何とも違和感のあるティンパニの乱打が炸裂すると、明らかにヴァーグナーの楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の主題を模した―それを模したということは取りもなおさずこの楽章が祝典的な意味をもつ、或いは祝典的な見せかけをもつことを、あえて非常に見え透いた形で聴くものにアピールすることになる―音形のロンド主題がカーニヴァルの開催を告げる。ここについて長木誠司氏が「これまでの展開が無に帰するような」と形容しているのは誠に的確な評であろう。このロンド主題は中断を挟みつつも計8回も繰り返されることになる。第一回目のロンド主題が怒涛の弦パッセージで一段落すると一瞬暗転した後(この暗転の仕方はマーラーの第6交響曲両端楽章での暗転と同じ)、やや暢気な雰囲気をもった第一エピソードとなる。こちらはレハールの喜歌劇「メリー・ウィドウ」に酷似した主題を擁し、やはり非常に浮かれたような雰囲気をもっている。ロンド部が再起した後、今度は第二エピソードにおいて優美なメヌエットを奏でる。これらのエピソード主題を巻き込みつつ、ソナタ形式の如く緊密にではなく、どちらかというとパノラマ絵巻の如くこの楽章は展開する。途中エピソード部でグロテスクな軋みを見せながら弦の激しいパッセージと共に激しく興奮して盛り上がりそれが頂点で一気に弾け崩落すると、再び陽気で喜劇的なロンド部に雪崩れ込む箇所が二度あるが、そこに挟まれている第6ロンド部の主題は、ブルックナーの最高傑作の一つ、第5交響曲フィナーレの記念碑的コラール主題のパロディとなっている。ブルックナーの作品中屈指の崇高な主題を明らかにイメージした主題を、よりによって最も不安と焦燥に駆られた2箇所の間におくこと自体、強烈なイロニーが感じられるし、その崇高な主題がここでは実に賑やかで落ち着かない浮ついた形で演奏され、救済の理念の虚構性が無惨にむき出しにされたかのようだ。また、この二度の異様な盛り上がりは見事なまでに第6交響曲フィナーレの裏返しといえる。第6フィナーレでは、悲劇が強迫観念の如く付き纏い、どこに逃げても運命の壁が立ちはだかり、都度彼は絶望的な叫喚をあげるのであるが、第7では途中何度も不気味な不安が(狂ったように難しいパッセージと共に)忍び寄るが、運命の恐怖がその全貌を見せ、打ち倒れ震えているマーラーに死の鉄槌を下すのかと思われた瞬間、第6とは正反対に何の根拠もない勝利のメロディー(ロンド主題)が、鉄面皮な笑顔を見せて高圧的に鳴り響き、「大丈夫、あんたは救われるんだよ」と下品にゲラゲラ笑いながら無理矢理マーラーを引きずり起こすといった図式となっているのである。それはベートーヴェンの如く全てを賭けて闘った代償として正当に勝ち取られた勝利ではなく、システムとして強制的にお情けで与えられる救済であるかのようである。第7ロンド部ラストで、いよいよ終末の時が近づいているのを明示する如く、悲劇的な第一楽章第一主題が絶望的な最後通牒の如く決然と演奏され、さぁこれから一体どうなってしまうのかと奏者も聴衆も慄然とさせておきながら、そこからおどけて飛び出すのはパロディックに変容した第二エピソード部の軽薄なメヌエット主題といういなしも強烈で、この楽章で最も皮肉と嘲りが感じられる箇所だ。そしてそのエピソード部が断ち切られるように終わり、遂に最後の第8ロンド部に至るや、音楽は勢いを増し、次第に教会の鐘の響きを思わせる音形に集約されていく。これも明らかに先行する音楽―ヴァーグナーの最後の作品である舞台神聖祝典劇「パルジファル」の聖盃騎士団の入場の音楽―を模している。そしてパルジファルにおいてもそうであったように、この鐘の響きは表面上の神聖な響きと裏腹に、パルジファルにおいてはキリスト教徒の中でも最も尊敬されるべき筈の聖盃騎士団の人々がセクト主義から狂乱に陥っていくのと同様、狂気をはらんだ彼の絶望的憧憬、或いは断固たる救済への妄想が異常なまでに盛り上がり膨れ上がっていることを示している!そして全オーケストラの飽和点を超えた絶叫の果てに、不可思議な不協和音と共に突如として第一楽章第一主題が長調に転調し、絶対的な(強制されたかのような)歓喜の音楽が溢れ出す。そして実はその主題こそ、マーラーの全作品中、唯一全肯定的に歓喜と救済を謳いあげた畢生の巨編、次作である第8交響曲の全曲を統一する主題に極めて酷似しているのである!この主題が演奏されるや、あとは音楽は興奮の極に達し、一気呵成のパッセージが奏されて、ベートーヴェンの第9のラストの如くあっけなく、あっという間に終結する。悲劇的な第一楽章第一主題がフィナーレのコーダにおいて長調に転じ、神の承認(ベートーヴェン的な闘争による勝利ではない:注)が与えられつつ輝かしく終わる、というスタイルはブルックナーの定型フォームだが、マーラー第7の場合、同じ手法を踏襲しながらも、むしろ逆の効果−第一楽章第一楽章が長調になれば、それで全てが解決するのかよ、本当は全然違うんじゃないのか、という不安感と恐怖の惹起−を狙い、それを見事に達成しているといえよう。この破綻し理念が崩壊した継ぎ接ぎだらけの救済につき、村井翔氏が「(第7のフィナーレは)「伝統の形式」に沿って、歓喜のフィナーレを書き続けてゆくことがもはや不可能であり、あらかじめ定められた啓蒙のプロジェクトに従って人類の幸福な未来が開けてゆくことも、もはやありえないことを証言している」と書いているのは誠に至言である。理念とは破綻する宿命にある事を赤裸に語った第7のフィナーレは、正にそのゆえにこそ彼の全作品の中で、最も現代に開かれた意味を持つのである。

   
   
わたしたちは奇妙で異様で不気味な時代に生きています。
情報量が猛烈に高まれば高まるほど、それだけますます
決定的に諸現象に対する目のくらみと盲目が広がって
いきます。             −ハイデガー
科学と道徳に斥けられた人間にも希望は存在するか
             −シェストフ
   

 第三部において執拗に繰り返したように、結局マーラーは、彼岸における不滅の生を信じることは出来なかったが、最後までそれを信じたいと思っており、しかもそれがあり得ることを必死で信じたいと願っていた。間違いなくその点の切実さ・誠実さだけは、ただのニヒリズムやパロディーに基づく作物とは次元の違うものであった。

 現代は、人心の荒廃、政治と宗教の残酷な争い、国際的紛争の混迷、核の危機など、人類を取り囲む状況において明るい要素はまことに少ない。宗教における慰めも、科学が次々と地球と宇宙の神秘を解明していくのに従って次第に物理的な世界を撤退しメンタルな面での逃避に過ぎなくなりつつある。しかもあらゆる情報は、一見開かれたメディア、インターネットの世界で無尽蔵に溢れているように見えながら、実際は、虚実が入り乱れ、たとえば唯一の超大国たる、さる民主主義国家の意図的な情報操作で簡単に戦端が開かれ、何万人という命が簡単に奪われてしまう脆弱な恐ろしさと常に隣り合わせなのである。もう20年近くも昔、舞踏家の麿赤兒氏は「今の世の中は、いうなれば真っ白な闇だな」と発言しているが、21世紀の現在こそ、その言葉、更にいえば上に掲げた半世紀以上も前のハイデガーの言葉が不幸にして的中してしまった時代といえるのではないか。実際、ほんの半世紀ほど前までは比較的容易に抱けたはずの未来への希望は殆どもち得ず、絶望ばかりが未来にたれこめている。

 そんな状況の中で、技術的には明らかに大きなハンデのあるアマチュアオーケストラが、マーラーの交響曲、しかも第7交響曲のような最も演奏が困難な作品に、のほほんと取り組んでいるというのは一体どのような意味があるのか。これは全共闘の時代に、「学生がアマチュアオーケストラなどという極めて有閑階級的な慰みごとにうつつを抜かすとは何事か」という「闘士」達から学生オケに対してなされた突き上げと同様、我々アマチュアへの、活動の根源そのものに関する厳しい問いかけでもあるだろう。しかし、筆者はそれが意味あることであると考えたい。勿論、かつて名指揮者ブルーノ・ワルターがいったような「音楽には道徳的感化力があるのです」といった類の高邁な理想論をふりかざすわけではない。しかし、マーラー―科学と道徳で割り切れぬ世界でもがき苦しみつつ、呪われた者たちの苦難を担う殉教者たらんとし、高い理想を目指しながらも、晩年になってその理想に裏切られ見放された悲劇の闘争者―の血を吐くような想い―彼岸における不滅の生などあり得ないことを知りつつも、必死にそれを信じたいと願う気持ち―それは正にマーラーのクレード(信仰告白)といえるだろう−にたとえ無意識的にであろうとも共鳴し、たとえ拙くとも必死にその偉大な作品の再創造に挑むことは、単なる気散じとはいえないのではないか。筆者は演奏行為とは、真の信仰者(宗教者ではない)における信仰と同じ意味合いを持つものだと信じている。ある楽曲を純一なる帰依の念をもって演奏することは、真の信仰者の神への祈りと同じ深みに達しうるのではないか、いや、達しえて欲しいと願っている。我々の本日の演奏によって世界を確実によりよい方に導くことなど到底出来ないのだろうし、演奏行為自体が別に世界平和を目的としている訳でもない事など十分認識している。それでも我々が自らの持てる全てを傾注し、その作曲家が訴えたかったこと−少なくとも自分たちや黒岩先生がその作曲家が訴えたかっただろうと考えたこと−を再創造しようと努力し、その必死の演奏を本日お越し下さった皆様と同じ音空間で共有する、そのことで奏者・聴衆の双方に何かを生み出させ得るのではないか、それによって奏者と聴衆はフルトヴェングラーのいう「愛の共同体」たり得るのではないかという、ささやかな希望は常に胸に秘めている。ましてや、本日演奏するのは、見捨てられたものの救済や彼方の世界での不滅の生はあり得るかという、ある意味ドン・キホーテ的な大命題に自らの存在意義をかけて挑んだ巨人、マーラーの、最も切実な叫びと苦悩に満ちた第7交響曲なのである。シェストフは第五部冒頭に掲げた究極的な問いかけにつき、散々科学と道徳に絶望的な呪詛を投げかけつつ、最後に特に根拠もなく、科学と道徳に斥けられた人間にも救いはあるかもしれない、というかすかな可能性を認め、論を結んでいる。筆者も彼と同じく、明白な根拠を持ち得ないながらも、演奏行為を通じて何かを生み出し得るかもしれないという、ほんの僅かな可能性に賭けたいのだ。その意味で、いわば今回のマーラー第7交響曲という比類なき異形の巨峯への登攀は、演奏行為を通した、我々の世界に対するクレード(信仰告白)といい得るだろう。想いを言葉に託すのは極めて困難であり、言わんとしていることが文章として余すところなく形容しえたとは到底思えない。が、少なくとも本日の演奏をお聴き下さった皆様、並びに我々の胸に演奏会の後、何かが芽生えること、そのことを切に願いつつ、本日の演奏に取り組みたい。

   
注:ブルックナー交響曲における「神の承認」
日本の一部の評論家は、ブルックナーの音楽には人間的なドラマが全く存在せず、そこに響くのは大自然の鳴動そのものであり、その点で彼の音楽はシベリウスに似通っており、マーラーやブラームスの如き人間的な音楽は到底及ばない永遠性を持っている、と力説している。しかし筆者はその説に全く与しない。それどころか、ブルックナーの音楽ほど人間的な葛藤をもった音楽はないと考えている。確かにブルックナーを愛する人とシベリウスを愛する人はしばしば重なるし、シベリウスの音楽に自然そのものという意味で非人間的な何かが感じられるのは事実だと思うが、ブルックナーの音楽の本質は―大自然への讃歌としての悠久を思わせるフレーズや雄大な響きはあるにせよ―ひたすらな神への絶対的帰依と無神論的な虚無への恐怖の間で揺れ動く、ブルックナーの心の振幅そのものであろう。かといって、ブルックナーの音楽の最後で鳴り響くのはベートーヴェンの音楽がしばしばそうであるような、ヘーゲル弁証法的に人間の努力を経ることによって苦悩が止揚される、という如何にも19世紀前半的な、ある意味牧歌的かつ楽天的なプログラムの帰結ではない。完成作の中では最高傑作である、第5や第8にしたところで、結局ブルックナーは自力で永遠の勝利を獲得出来ず、突如現れたDeus ex Machina(ギリシア悲劇の最後にしばしば登場する、収拾がつかなくなった話を収める為だけに機械的に登場し機械的に事態を打開する神。「機械仕掛けの神」などと称される)が極めて唐突に恩寵としてブルックナーに「承認」を与える、といった趣きがある。それだけにブルックナーは決して最後の勝利を自力で手にいれた訳でない事を十分理解しているし、それが絶対的なものであるという確信までは抱ききっていないのである(だからこそ絶対的な承認の壮麗な響きはあっても、ベートーヴェンのように自ら獲得した勝利の歓喜に絶対的に打ち震える事は出来ないのである)。ましてや最後の作品、未完成の第9に到っては、完成している最後の楽章である第三楽章アダージョの展開再現部の最後において、それまでの全作品中、最も悲劇的な懐疑に苛まれ絶望の叫びをあげるブルックナーの姿が生々しく描き出されている。コーダではやはり「恩寵」としての安らかな承認がなされるものの、この付け足しの如き承認が、全作品をくぐり抜けた上でなお抱かれた最大の不信と苦悩を受けるには脆弱過ぎるのは余りにも明らかである(サマーレ、マッツーカ、フィリップス、コールズらの尽力で補作完成された凄まじい第四楽章にしても更に深刻な悲劇が展開し、コーダでやはり唐突な恩寵として強引に鳴り響く彼の「テ・デウム」のハレルヤ主題もなんとなくそらぞらしくさえ感じられる)。ここにおいて懐疑するブルックナーの姿は、神と科学との双方から見離され絶叫するドストィエーフスキィと二重映しに見える。そしてその意味において筆者は、抱いていた永世への信仰をずたずたにされながら、いやそれだからこそ強迫観念の如く絶対的に、必死にその幻影にすがろうとする第7でのマーラーの姿が、実はブルックナーに近いと感じるのである。
   
* 各部冒頭に掲げたエピグラムは、ボォドレェル−植野修司訳、マン−前田敬作・山口知三訳、ドストィエーフスキィ−河上徹太郎訳、ゲーテ−柴田翔訳、ハイデガー−木村敏・村本詔司訳、シェストフ−阿部六郎訳に適宜改変を加えたものである。特に躍動する柴田訳を擬古的に生硬に直してしまい慙愧の念に耐えない。上の各氏に心から深甚なる敬意と謝意を表します。