坪井 秀人

暖冬だということだが、年の瀬のウィーンは寒い。体の中心まで冷えて、ほとんど痛いほど。こういう時は温かいワイン、"グリュー・ヴァイン"を飲んで体を温める。昨夜も一杯ひっかけてからコンツェルトハウスに出かけたものだから(いつものことだが)、演奏会は時差ボケとあいまって、睡魔との闘いに費されてしまった。

昨夜のお目当ては、バーバラ・へンドリックスの歌うブリテンの『イリュミナシオン』。古今に名詩名曲は色々あれど、ブリテンのこの曲ほど両者がどんぴしゃり揃った作品は少いのではないのか。但し当夜の演奏は、ドミトリ・シトコヴェッキの指揮する室内オケのアンサンブルが余りにも雑で、ヘンドリックスの歌唱も―本調子。初期ブリテンの傑作の響きもかくして朦朧とした脳髄を呼び醒ますにはいたらなかった。

 

それにしてもこのコンツェルトハウスの大ホール、大きいにも関わらず響きがとても良い。マーラーとかスクリャービンとかの大規模な管弦楽にことのほか適している。二年前はここでマーラーでは6番と9番を聴いた。だが欲を言えばマーラーはやはりムジークフェラインで聴きたい。あのシーズンには右の二曲と7番・8番を除くマーラーの七曲の交響曲(『大地の歌』を含む)をムジークフェラインで聴いた。もちろんオケはウィーン・フィルが一番良い。しかしあの黄金のホールでならウイーン響であれORF響であれ素晴らしいマーラーの響きを出す。5番はアメリカからツアー中のヒューストン交響楽団で聴いた。エッシェンバッハの指揮は(彼のシューマンの歌曲伴奏とは別の意味で)異様なほど細部にこだわった神経症的な怪演だったが、ウィーンでロシアやアメリカの演奏を聴く時のぶったまげた大音響がそこでも支配していた。にもかかわらずあのアダージェットが綿々と流れ始めると、弾き手たちがアメリカ人であろうが何人であろうがもう関わりなく、ああこの音楽こそはこのホールと、この空気から醸成されたものなのだと実感し、音たちが自らの故郷を見出してそこに帰っていくのを目の当たりにしているような、そんな感動を禁じ得なかった。

ウィーンでは日本のように“音”だけを聴くということはない。音たちが生まれ、音たちが帰っていく“場”を、聴いている。そこでは建築すらが、建築こそが音楽となる。言葉を換えれば音楽への欲求が空気を貫き、空気を震えさせる――わが日本の音楽も芸術もそれほどの欲求を持ち合わせていないのだ。『イリュミナシオン』の一節に《優れた音楽が、われわれの慾望には欠けている》(小林秀雄訳)とある。私たちはそれを次のように言い換えてもよさそうだ――《優れた慾望が、われわれの音楽には欠けている》と……。


昨日はことのほか寒く、肩がひどく凝り始めた。夜はアウグスティーナ教会でメシアンの『主の生誕』のオルガン演奏があり、クリスマスらしい体験をしようと、長袖・ももひきを着用に及んで(教会は寒いのだ!)出かけたが、プローベを少し立ち聞きして帰ってしまった。


クリスマスと言えば、一昨日はムジークフェラインで『クリスマス・オラトリオ』を聴いた。アーノルト・シェーンベルク合唱団の演奏会。指揮はいつものエルヴィン・オルトナー。古楽器のオケを使いつつ、合唱にはバロック唱法を強調しない素直な解釈で、アルノンクールのような面白さはない分、じつにあたたかで優しいバッハだった。独唱ではエヴァンゲリストを歌ったテノールのヘルベルト。リッペルトとアルトのエリザベス・フォン・マグヌスが光っていた。バスはローベルト・ホル。日本ではこの人が一番知名度が高いのだが、私は買わない。アンサンブルを無視して自己主張する姿勢はスターにありがちな踏み外しだが、CDを聴いているだけではなかなかそこまで気付けないものだ。

マーラーの交響曲も録音技術の進歩とともに受け入れられ、CDの開発によって一挙に普及したことはよく指摘されるところである。第5交響曲はその70年代以降のマーラー・ブームの中核を占めて来た。カラヤン、マゼール、シノーポリといった指揮者たちも、マーラーを最初に取り上げるにあたってこの5番を選んでいることも意味深い。この三人はそれぞれの流儀で今日のマーラー解釈の典型を築いたと言ってよい。

高校時代、カラヤンの演奏をエアチェックしたテープで繰り返し繰り返し聴いたものだが、あの虹をデザインしたレコードのジャケットは忘れられない。その虹の精妙な色合いのょぅに、カラヤンの演奏は、べルリン・フィルという高性能のマシーンを駆使して、壮麗な音響のドームを築き上げた。線的な継起性の中に音の流れとダイナミックスを奉仕させてきたマーラー以前の(もちろんブルックナー等も含まれるところの)交響的作品において、音はいわば<生産>活動の単位であった。ところがマーラーの交響曲にあってはこれが転倒され、音は<消費>されることで自己を現前させようとする。巨大なホールと大規模な管弦楽、そして何よりも芸術を消費する<聴衆>をそれは必要とするのでぁる。高度資本主義社会における芸術作品としての宿命を生きるマーラーの交響曲の現代性を最初にすくい上げたのがカラヤンであったと言うことが出来よう。豊麗な音響、鋭角性を削ぎ落としたレガートな旋律性、高難度なヴィルトゥオジティの発揚……時としてマーラーの本質から逸脱しかねないこれらの要素が、マーラーの大衆化を一挙に押し進めた。ある意味で最も非マーラー的な音楽家であったカラヤンがマーラーの現代的な可能性を最も広く切り開き、普及させたところに、今日のマーラー・ブームの重要な特質が見られる。

これに対しマゼールがウィーン・フィルを振った5番の演奏は、明らかにカラヤン/ベルリンのインターナショナリズムを意識し、そこからの脱却を試みた演奏として評価出来よう。両者が初来日した時、わざわざ上京してNHKホールまで5番の演奏を聴きに行ったが、その解釈の奇抜さには度胆を抜かされたものだ。特筆すべきは3楽章の中のレントラーの部分。もうそれは完全にシュトラウスやレハールの<引用>と言うべき大胆な解釈で、演奏する楽員までが体を揺らしているのはなかなかの見物であった。ただマゼールのそういう仕掛けは決して自然ではなく、人工的な一回性、管理されたデフォルメとでも呼ぶべきものが常に支配している。かつてウィーンでも彼の指揮する第一交響曲を聴いたが、ともかく面白がらせる術に長けている点では最高のマーラー指揮者であることは間違いない(好まれるかどうかはまた別問題であるが)。

マゼール流の知的な操作をいかにエートスと重ね合わせるか――その問題性に答えようとしたのがシノーポリという指揮者であった。彼は初期にべルリン・フィルを振ってシェーンベルクの室内交響曲の非常に優れた録音を残しているのだが、フロイト学者でもあるテクスト解釈者としてのシノーポリの本領はシェーンべルクではなくマーラーにおいてこそ発揮された。それはテクストの情報量とその質に関わっているように思われる。ドストエフスキーやチェーホフのテクストを<解読>するように、マーラーのスコアを解析して見せるテクスト論的な解釈の終極には、テクストの表層を動機づける深層、クリステヴァ流に言うなら、ジェノーテクストを発掘するモチーフ論が想定できる。

だが、音楽を余りにも“言語化”してしまうシノーポリの解釈がヨーロッパのみならず日本においてもある程度の支持を得られているのは、多分にレコード産業(具体的にはドイチェグラモフォン)の戦略が作用しているからではないだろうか。ウィーンなどにいると、どのようにして<才能>というものが製造され、流通させられていくかが、少しだけ見えて来る。シノーポリは間違いなく優れた音楽家だが、CDによる隠蔽が彼ほどうまく働いた例はないのではないだろうか。隠蔽。それこそがまたフロイトを魅了したように。



ヨーロッパのクリスマスは日本では考えられないくらいに静か。24、25の両日はまるで廃市のように人影がなくなる。そんな日に市電に乗っているのは異教徒か、ある種の疎外された人々で、その数もごくわずか。ホテル住まいにとっては食べる所を探すのにもひと苦労である。25日はペーター教会のミサに参加した。モーツアルトの『ミサ・ブレヴィス』をやっていた。クリスマスとはいえ、いやだからこそ、歴然たる宗教儀式なので、軽い観光気分での参加は場違い。こういう時、大げさに言えば、自己の場所がどこにあるのかを問い直す機会になる。私のように信仰を持たぬ者でも、強烈な光を放つ<神>という中心との距離を計り直すことを強いられることになる。こういう体験はなかなか日本にいては得られない。

さて、昨夜は久し振りにシュターツオパーで『魔笛』を聴いた。夜の女王はペケ。パパゲーノ、ザラストロ、それからトーマス・モーザのタミーノはまあまあ。素晴らしかったのはパミーナを歌ったがブリエレ・フォンタナ。少し暗めの声だが、模範的な歌唱で、感動した。オットー・シェンクの演出は相変わらず平凡だが、過度に抽象化せず、モーツアルトの音楽だけが心に残るところが、さすがにウィーン。このオペラにはモーツアルトの全てが詰まっている。のみならず、ウィーンの音楽の全てすらが。

光と闇の交錯するこの宇宙から、マーラーもシェーンベルクも生まれてくる。第8交響曲に聖霊の音楽を書きつけたマーラー、「ヤコブのはしご』を書いたシェーンべルク。ユダヤ教とカトリシズムとの間で、ヨーロッパ(つまりは世界)におけるアイデンティの危機に苦しんだ彼らの葛藤のごときものまでが、「魔笛』からは聞こえてくるのだ。マーラーのスコアは、まるで註釈書でもあるのかのように、彼の細かな指示が書きつけられ、演奏(再生=消費)が作曲(生産)と分かち難く結びついていることがわかる。このような自意識過剰の<近代・モデルン>はもちろんモーツアルトには無縁だが、マーラーやシェーンベルクの中にモーツアルトを辿り直すあり方が模索されてもよいのではないだろうか。マーラーはすでに<古典・クラッシェ>なのだから。

最後に『魔笛』で憤慨したことを記しておこう。会場で買うプログラムには、かなり以前から日本語でも写真撮影禁止のお願いが記してある。カメラのフラッシュは歌い手にとって迷惑千万である。にもかかわらず、夜の女王や三人の童子の場面になると決まってフラッシュが集中的にたかれる。幕間にはマネージャーが口頭でお願いする始末。こんなことはかつてはなかったことだ。時期が時期だけに日本人観光客(私ももちろんその一人だが)が大勢いたので、彼らの中にそういう不届き者がいなかったことを祈るばかりだ。音楽と無縁なところではしゃぎまわる輩は二度と来るな!!私などが座わっているバルコンやラリーの中の安い席にはそういう馬鹿はいない。ただ“音楽の馬鹿”だけがいる。“音楽の馬鹿”になりきること。音楽を愛する者(ムジークフロインデ)の一人として、そのことの大切さを、想う。