何度も繰り返し聴きたくなる曲というものがある。その一方で、一度聴いたらしばらくはもう結構という曲もあって、その分別は個人差で量るほかない趣味の問題だ。思いつくまま今の私の趣味を披瀝すれば、シュトラウスの『四つの最後の歌』などは間違いなく前者に属する。急いで断っておけば、この曲はもちろん安直に〈消費〉されるような浅い音楽ではない。死と再生だとか何だとか、その奥深さを言葉で綴ってみるのも別段悪いことではない――この音楽、実際、詩と音が官能的なまでに交接する言葉の芸術なのだから。  
坪井 秀人
 

その〈再生〉ではないが、「夕映えに」の小鳥の囀りが消え去った後、しばらく静寂に浸ったら、もう一度冒頭からこの傑作の響きに身を投げ出したいという衝動を抑えることが出来なくなる。そして出来ればこの曲はあらゆる声によって聴いてみたい。実演ではフェリシティ・ロット(ヤンソンスの棒。ステューダーの代役で歌ったが美しかった)と、亡くなる少し前のポップ(ウィーン国立歌劇場でのバレエのための音楽。彼女は踊り手とともに舞台にあがって歌った)を聴けたし、録音でも古くはユリナッチ、シュヴァルツコップ、デラ=カーザからヤノヴィッツほかまで、それぞれ素晴らしい声を堪能してきたが、全く飽きることがない。作曲家の最後の曲なのに、『変容』などとは違って深い陶酔がうまい酒のように中毒作用を起こすらしい。


これに対しさしずめベートーヴェンの「第九」はシューベルトの晩年のピアノソナタや弦楽五重奏(内田光子がシューベルトには地獄が見えると語っていたけれど、本当にそうだと思う)、ブルックナーやマーラーの同番の交響曲などとともに、一回聴いたらもうしばらくは結構という曲の最右翼だ。これらは音楽が余りにも充実していてお腹一杯になってしまう。下手なデザートなど食べたらもったいない、というところか。だから「第九」は滅多に聴かない、というより、聴けない。年末の「第九」、というと日本人の文化水準の指標としてとかく皮肉っぽく言われがち。しかし年の瀬に取っておきの曲を聴くという気持ちは、それが見栄や惰性でないのなら、よく理解できる。いや見栄や惰性で足を運んだとて咎めることもあるまい。音楽の美しさ、豊かさは、予定や計画の上に定まっているのではない。それは小林秀雄ではないが、ある時不意打ちのように訪れる。

年末の「第九」がなぜ年末なのかについて、もう一点。ベートーヴェン氏にたとえは悪いが、それは「年越し蕎麦」みたいなもん。で、その心は。「年越し蕎麦」というのは大晦日の晩に「第九」、じゃなくて「ゆく年くる年」の除夜の鐘を聞きながら家族で揃って食べる。下宿で一人コンビニで買ってきたソバを啜っていたら……これはさびしい。この、揃って食べる、〈共食〉というところに「年越し蕎麦」の意義はある。「第九」も同じで、隣りに人がいるというのが一つのいわゆるポイント、ですか……。

つまり複数で揃って出かけるというのがどうも「第九」の正しい(?)決め方、らしい。確かに大人数でベートーヴェンの晩年のクワルテットを聴きに出かけるというのはさまにならないし、マーラーの九番を家族連れや団体さんばかりが目を点にして聴きにきていたら……これは不気味だ(しかし私はかつてウィーンのコンツェルトハウスで、この曲に睦まじく聞き入る親子の姿を目撃したことがある。いかにも紳士といった気品あるお父さんがまだ小さな息子に楽器の使い方なんかをいちいち解説し、息子は息子で熱心にそれにうなづく――伝統とは恐ろしい……)。ところがベートーヴェンの「第九」では麗しい第三楽章を息をつめて聞き入った後、隣人とあのコラールを分かち合う。それがこの曲には確かに似つかわしい。カラオケボックスで個人プレーに自己陶酔する日本のお父さんたちもこの時ばかりはちょっと襟を正して隣人を確認する、というわけだ。


「第九」はかつてよく「合唱」という名でも通ってきた。私の音友版のスコアにも「合唱付」という副題が付いている。初版総譜のタイトルは Sinfonie mit Schlußchor über Schillers Ode an die Freude für großes Orchester, 4 Solo und 4 Chorstimmen componiert .....となっていて、この後プロイセン国王なにがしに何々然々で献呈 zueignen されたという文句が続くのだが、それが「第九」の正式名称らしい。で、上の意味はまあ、「シラーの頌歌オード『歓喜に寄せる』をテーマとする終結合唱を伴い、大管弦楽・四声の独唱・四声の合唱のために作曲された交響曲」という意味で、これだけでも充分に長いのだが、ここに出てくる Sinfonie mit Schlußchor だけを取れば、「合唱付き交響曲」ということになるわけで、上記の通称は間違いではない。この「合唱」というものの導入がいやが上にも先ほどの隣人愛を高めるのは言うまでもない。交響曲にソロも合唱も入れて声楽を用いる編成は後にベルリオーズ、リストが使い、マーラー以降に受け継がれていく交響曲史上における革命的な出来事だったわけだが、今日では「第九」があまりにも当たり前な存在であるために、誰もそんな革命性などを気にかけたりはしない。ベートーヴェンというのはつくづく損な作曲家であると思う。彼が仕掛けた革命的なところも、皮肉もユーモアも、偉大な〈楽聖〉という強烈な(しかし陳腐な)スタンダードの影に隠れてしまって、多くの人には見向きもされない。これはもちろんベートーヴェン自身のユーモアやエスプリの中途半端さにも起因していて、ともかく「第九」は偉大だし、喜ばしくかつ厳粛な大交響曲であることには文句の付けようもないからだ。

テクストもこれがまた、何ともお目出たい。一言で要約すれば、《人類はみな兄弟》 Alle Menschen werden Brüder.(=全ての人々は兄弟になる)というのがその誉め歌(オード)の主題である。歌詞のドイツ語がうまく聞き取れなくとも、Freunde(フロインデ=友)、Brüder(ブリューダー=兄弟)、Millionen(ミリオーネン=百万の人々)といった単語は多分、第4楽章で何度か耳にすることだろう。これらの(複数形の)言葉の持つ連帯の意識。そういう意識から私たちは次第に見放されてきた。いや恐らく、私たちが見放してきたのであるが。《連帯を求めて孤立を恐れず》なんていう言葉はこのご時世、死語なのである。

いやいやそうでもないのかもしれない。例えばインターネット上を流れる様々な個人ページを読んでいると、《正面切っての連帯は恥ずかしいけど、孤立もイヤ》みたいな、〈連帯〉と〈孤立〉の間でバランスを微妙に取る感覚がメディアを使う感覚に滲み出ている。ところがシラーの詩はお目出たいだけでなく、本当は結構きびしいところがある。

Wem der grosse Wurf gelungen, eines Freundes Freund zu sein,
wer ein holdes Weib errungen, mische seinen Jubel ein !
Ja, wer auch nur eine Seele sein nennt auf dem Erdenrund !
Und wer′s nie gekonnt, der stehle weinend sich aus diesem Bund.

第四楽章、最初のバリトンのソロのあと、合唱が三部で主題を歌い、さらに独唱者四人のソロがそれを受け継ぐところ(269小節以下)。オケは木管(フルート、ファゴットにホルン)とチェロだけの薄い部分で、音楽のテクスチュアはクリアーに聴き取れる。この部分のテクストはしかし、日本語に置き換えるのがなかなか面倒なもので、種々の対訳で全く訳が違っていたりする(つまりそのうちのどれかは間違っているということだ)。因みに音友のスコアの邦語テクストは、《こよなき友なる いとしき妻を かち得て 幸ある人よ 歌えよ 歌えよ 一人の友だに持たば さあらで 淋しき者は 去るべし》(堀内敬三訳)というもの。変てこな文語で、その上に実際に歌えるようにリズムも合わせたためか、何を言っているのかよくわからない日本語である。私なりに解釈して次のように訳してみる。

一人の友の友となること、この偉業をみごと果たした者と、
優しい女性をかち得た者は歓呼の声を溶けあわせよ!
そうだとも、たとえたった一つの魂であっても、それをこの地球上で自らの魂と呼ぶことができる者ならば(ともに歓呼の声をあげよ)!
そしてそれが出来ない者は、泣いてこの絆から立ち去っていくがいい

《一人の友の友 eines Freundes Freund 》であることと、《優しい女性》(堀内訳のように妻・伴侶と解しても可)を獲得することは、同性的ホモジーニアスなるもの(Freund は男性形。この語は当然詩のキイワード Freud =歓喜と音韻的に連鎖する)と異性的ヘテロジーニアスなるものを総和する全体性( Ganzheit あるいは Totalität )の意識によって対応され融合される。話が逸れるが、時代からしてシラーのこのテクストはもちろん男性中心主義に偏向している。神と同位の天上の父 Vater に兄弟 Brüder が連なっていくあからさまな父権的秩序だ(比喩的に歓喜 Freude を形容する娘 Tochter が出てくるぐらい)。母―姉妹を吸収してしまう父―兄弟の世界(ganze Welt)。

そういう規格化された偏向はあるものの、「第九」のこのテクストが百万人が相抱く全人類的な全体への統合を打ち上げていることは、詩句の至る所に表れている。テクストはその統合の最小単位として各人が相抱ける対ペアになる他者、友もしくは伴侶を示して、各々がそのパートナーを見出すことを強く求めている。そして《それが出来ない者は、泣いてこの絆から立ち去っていくがいい》と厳しく例外を排除するのだ。ベートーヴェンの音楽の厳粛さ(「セリオーソ」という曲もありましたね)がちょうどそういうところに見事に対応してもいる。ただ単にワッショイワッショイと騒ぎ立てるお祭り音楽ではない。ということはシラー―ベートーヴェンにおける排除されるべき例外とは、同性異性を問わず〈対ならざるもの〉、一言で言えば〈単独者〉ということになる。コンビニで買ってきた蕎麦を啜って年を越す独りぼっちの下宿生には、何ともまあ酷〜い音楽なわけだ。〈単独者〉ってのはそんなに生やさしい概念じゃないのだけれど、ね。ともかくそういう異分子を厳しく排斥して、強固な有機的統一体が目指される。この厳格さは、統一を妨げ分断する厳しい情勢 Mode の力を知るがゆえに決して緩められることはない。

何でまたシラーがこんな気宇壮大な詩を書いて、ベートーヴェンが長年にわたって(三十年間も!)その詩に作曲しようと温めてきたのか。それはドイツの当時の国情や時代背景をも視野に入れなければわからない。そういうことは歴史家や音楽史家に任せておいて、私たちは自分たちの時代の自分たちの財産として、この音楽の要請する〈絆 Bund〉のありようを考えてみた方がよい――因みに Bund という名詞は Deine Zauber binden wieder.(汝=歓喜の魔力は再び結び合わせる)における binden=結ぶという動詞から来ている。


くだくだと述べ来たったように、「第九」のシラーのテクストはドイツ語の意味(そして音)と深く連関している。ウィーンでは毎年ジルヴェスター(大晦日)と元旦にシンフォニカー(ウィーン交響楽団)がコンツェルトハウスで「第九」をやる。ウィーン・フィルによるウインナ・ワルツのいわば裏番組だ。私のいた年はガーディナーが来演、注目を集めた。合唱を受け持つジングアカデミーに友人が所属していて、プローベの様子を教えてくれた。アルノンクールなどと違って、ガーディナーはオーストリア人でもなければドイツ人でもない。れっきとした英国人だが、テクストのドイツ語の発声と音形との対応に大変こまやかであったという(のみならずハンブルクのオケのシェフでもある彼の発音はウィーンの発音と微妙に違っていたという)。Alle Menschen werden Brüder. にある Menschen(人間・人類)も言語や民族を超越したグローバルな領域を指し示していると言えるのだろうけれど、いくらでも曲解・悪用できる(例えば汎ゲルマン的に)フレーズではある。しかし「第九」は場合によっては日本語でだって歌われもする。《いーきとし生くなーるひとみなとーもぞ》(堀内訳)てな具合に。多分、英語だって中国語だってあるだろう(フランス語は……なさそうだな)。

チェコ語というのもある。ある時、ラジオをつけたらびっくりで、マタチッチ指揮チェコ・フィルの演奏。独唱で私の大好きなベニャチコヴァーなども歌っていて、骨太ないい演奏なのだが、チェコ語なのである。当然、あのバリトンの出だしの《オー・フローイーンデー・ニヒト・ディーゼ・テーネ!》(O Freunde, nicht diese Töne!=おお友よ、こんな音ではない!)も、聞いたこともないような言葉で歌われる(チェコ語はスラヴ系の言語だから当然ドイツ語とは似ていない)。にもかかわらず、全く違和感がない。それどころか、この演奏はチェコ語でなければならないのかもしれない、と妙に納得させてしまう説得力があった。チェコの言葉の響きが何となく日本人に懐かしさを与えるとか(例えばヤナーチェクのオペラでのように)、そういう問題ではない。マタチッチらによるこの演奏は〈プラハの春〉からのライヴ。〈プラハの春〉では確か「第九」を毎年必ず取り上げる。あのスメタナの『わが祖国』とちょうど対をなしている。スメタナの曲の祖国愛に「第九」が照応するのだが、チェコの一部の世代の人々にはナチス・ドイツに対する忌まわしい記憶がある(戦後は言うまでもなく旧ソ連がそれに対応する)。ドイツ語だけ取り替えて〈連帯〉への讃歌が歌われるのだ。Menschはチェコ語のclovekに、Freundpritelという(?)具合に……。ナチの音楽政策などにも利用されたであろう「第九」のテクストがチェコ語で歌われるというのは、日本語で歌ってみました、というようなお目出たい現象なんかではないはずである。言葉に根ざした音楽の普遍性と領域性とのはざまにあるものが、そこからは聴こえてくる。

Bund(絆)への統合。この統合はいつの時代にもそしてどこの地域でも、主に民族単位で繰り返し繰り返し行われている。しかしその統合には決定的に異なる二つの種類がある。一つは民族を統合しようとする運動。もう一つは(こちらが殆どなのだが)民族で統合しようとする運動だ。ドイツが統一されて、ベルリンの壁解放のコンサートで、あれは「第九」が演奏されたのではなかったか。一方でチェコとスロヴァキアは分離する。そしてドイツにもウィーンにもドイツ語圏以外の人々が大量に入り込み、外国人問題が選挙の争点になる。さらにセルビアとクロアチア、あるいはパレスチナ……。民族主義と多民族主義とが平行するこの世界の中で「第九」のコラールはどのようにメッセージを発し続けていくのか。シラーが思いもしなかったであろうMenschenの図が、いまも途方もなく拡がる。

私が聞いた「第九」。出演させてもらったものも含めて、あんまり記憶に残っていない。だが、ただ一つ。何のことはない体験だが。

もう十年は経っているが、その頃大学院生だった私は、ある年の暮れ、群馬の前橋に調べものに行った。街をうろうろしてから午後、普段なら特急で帰るところを何の気なしに上野行き急行に乗ってみた。鈍行ほどではないが時間はかなりかかったはずだ。その時、多分、〈時間〉というものからのがれたかった。公私ともにいろいろとイヤになっていた……と思う過去は脚色がかかっているかもしれない。実の所は私は幸福な一人の時間を嘗め尽くしていたのかもしれぬ。いずれにしても、一人、長く無為な時間を過ごしたかったのは確かだ。

列車は夕刻上野に着く。駅からそのまま公園にぶらり歩いていき、全く予定外に文化会館で「年末の第九」を聞くことになった。普段滅多に聞くことのない「第九」が、よりにもよって年末に向こうから不意に私のところにやってきた……。私は隣人も友人も Bundも、もちろん求めてなんかいなかった。私はただ一人でいたく、文化会館で一人気ままに座って「第九」を聞いただけだ。私は〈単独者〉でこそなかったろうけれど、〈孤独者〉の資格はじゅうぶんに備えていたはずだ。

だが、その時の「第九」は本当に素晴らしかった。井上道義さんの振る新日本フィルも、晋友会の合唱も、全部良かったけれど、その時の演奏はベルリン・フィルだろうが、アマチュアの学生オケだろうが、気持ちのこもった演奏ならほとんどどちらでもよかった。何の気負いもなく冒頭の弦のトレモロの中に浸り、そしてコーダに達していく。

たかが「第九」と言うなかれ。私はそれ以来「第九」を聞いていない。
(1996年2月)