ラフマニノフの交響曲第2番が聴けるようになるのに、僕の場合は少し時間がかかった。三十歳になるかならぬかというような頃だったろうか、FM放送から録音したクルト・ザンデルリンク指揮するベルリン・フィルの演奏が素晴らしくて、カセットテープで繰り返し繰り返し聴いてからで、ラフマニノフの2番と言えば僕の場合、いつもこの演奏にたどり着く。同じ指揮者のフィルハーモニアとの録音も今は愛聴しているが、出来ればベルリン・フィルとの演奏を録音して欲しかった(ついでに言えばザンデルリンクとベルリン・フィルによるショスタコーヴィチの最後の交響曲の演奏も僕にとっては絶対無比の演奏。何とかどこかから正規録音として出してくれないものか……)。

 
坪井 秀人
 


その三十歳になるかならぬかのある時、状態の悪いそのテープをぼろ車のデッキに押し込んで、一人新潟から信州の鄙びた温泉を目指して走っていた。訳もなく旅に出たく、どこかあまり人の来ないような静かな山間の湯に身を沈めたかった。生活に疲れていたのでも、仕事に躓いていたのでもなく、悲しいことがあったわけでもなく、ただただ一人でどこかに出かけたかっただけだが、そんな気ままな旅の伴としてこのテープから流れてくる音楽は最高のものだった。それからもラフマニノフの2番は車の中で聴くことが多い。長大なこのシンフォニーを椅子に腰掛けて最後まで聴くゆとりがないこともあるが、車で長距離飛ばしながら聴くのに、この曲はまさにうってつけなのだ。旋律が息長くうねりながら次々に山場を築き、しかもほの暗い色調の中に時間を停止したように音楽は常に一つの情念の中にたゆたっている。トーンに変化はないが、旋律は絶えず継起して前へ前へと進んでいる。このような前進と停滞とが不思議に調和した音楽。それが一つの情感に耽りながら変化する風景を追い越しながら速度をあげていく車の運転の感覚に実に見事に符合するのだ。


しかし、実のところを言えば、ラフマニノフの2番の冗長さにかつては僕もずっと辟易し、敬して遠ざけて来た。まだあれは僕が十代の時分だったと思うが、名フィルを森正さんが退任する記念の演奏会で、森さんはこの曲を取り上げた。初めて聞いたその時、失礼ながら余りの音楽の退屈さに耐えかねて、僕は途中で席を立ってしまったことを覚えている。ハリウッド映画の音楽みたいな後ろ向きのロマン主義も我慢がならなかった。それが三十を越してからそんなロマン主義も、まあはっきり言ってしまえば、べたべたの感傷も、抵抗なく身を浸せるようになったのはどういうわけなのだろう。年齢ゆえの後退か?いやいやそうは思いたくない。もちろんラフマニノフの音楽をそんな保守的なロマン主義の枠内でだけ捉えることには異論もあるだろう。第2楽章や第4楽章がその良い例だが、 1907年に作曲された交響曲の2番にも、二十世紀の交響曲として誇るにたる近代的な管弦楽法やシンフォニックな響きはじゅうぶんに聞き取れる。何しろこの曲は演奏する側からすると大変な難曲なのだが、その大変さは聴衆として聞いているだけではなかなかわかりづらい(そういう点ではシベリウスの交響曲と似ているのかも)。それを手の込んだ職人芸と見るか、凡庸の証としての饒舌と見るかでこうした曲の好き嫌いも自ずと決まるというものだが、「交響的舞曲」やピアノ協奏曲第3番その他数多くのピアノ独奏・連弾曲の傑作群に見られる彼一流のヴィルトゥオジティを付き合わせてみれば、この交響曲もそれほど後ろばかりを向いた音楽でないことは理解できるのではないかと思う。


にもかかわらず、やはりラフマニノフの魅力は一にかかってその旋律の魅力なのではないかという思いを捨てることは出来ない。ベルリン・フィルやロシアやアメリカの機能的なオーケストラがどんなにラフマニノフのヴィルトゥオジティを強調したとしても、最後まで息づいているもの、それが旋律の素晴らしさではないだろうか。この2番の交響曲も長いフレーズが小節線を跨ぎ、シンコペーションが音楽の縦線をずらして、意図的に垂直的な構造をわかりにくくさせている。それに、言うまでもないことだが、その旋律自体の美しいことといったら……。冒頭の弦楽器による動機がすうっと入ってくるときの胸を締め付けるような感触、3楽章のクラリネットによる主題の提示の、うっとりとさせられる憂愁の情感。これらの、感傷主義の極致とも言えるような贅がこの交響曲にはふんだんに用意されているのだ。

ところで「感傷」という日本語には(英語の "sentiment" もそうかもしれないが)、古い時代を懐かしむことしか能のない老人たちの後ろ向きないじいじした郷愁を醸し出すような、何だかやけに否定的なニュアンスがまといついていけない。本来なら(センティメントではなく)「ペーソス」という言葉を用いるべき所だが、これには適当な日本語がすぐ思いつかない。日本文化の心性の伝統にペーソスがないなんて、そんな馬鹿なことがあろうはずがない。もしそうなら歌舞伎・浄瑠璃の舞台や邦楽の数多く、近代以降も新劇の舞台や流行歌・演歌の類に民衆が涙を絞るなんてことは説明がつかなくなってしまう。考えるに、このペーソスなるものが若者文化の表面において見えにくくなったということは確かなことのようだ。感傷もペーソスもその言葉を持ち出した瞬間、後ろを振り返る老人の烙印を押されてしまうのではないだろうか。pathosはまた「パトス」とも言い得、それは別の(美学的な)意味を担う(英語でならpassionと言うところ)。ただ、ペーソスもパトスも受動的な情念・情動を意味する点では同じで、パトスにはそれと補完的に対峙するロゴスやエートスという概念が用意される。まさか若者文化の中にパトスを監視し克服するロゴスがはびこっているなんてことはないだろう。現在のような論理の通らない時代はいまだかつてなかっただろうから。思うに、論理も情念も今や文化の突端からは、それだけで自立するなどということはあり得ないのだ。理屈を通すことに固執すればたちまち疎外される、さりとて涙を流して情に溺れることはみっともなくて見ていられない。しかしまあ、ともかく恐れることはないのだ。感傷なんてなくたって人間、生きて行かれる? そんなことはない。一年に一度や二度、思い切り、訳もなく泣きたくなることはあっていいのだ。ペーソス(パトス)にカタルシス(浄化)は付き物であり、カタルシスは生きていくの必要な本能的道具みたいなものではないか。


ラフマニノフの音楽はそんな感傷の粋みたいな音楽だ。そしてその粋の中の粋と言うなら、やっぱり「ヴォカリーズ」。オーケストラ編曲版も含めていろいろな楽器で演奏されるが、僕は何を措いても原曲の「声」で聴きたい。もともとはピアノ伴奏のヴァージョンが原曲なのだろう、アシュケナージとゼーダーシュトレームによる歌曲全集にも入っている(この全集の演奏、ピアノは文句ないが、ソプラノが不味くて殆ど聴くに堪えぬが)。しかし僕が繰り返し繰り返し聴いてきたのは、アンナ・モッフォが歌ってストコフスキーがアメリカ交響楽団を指揮して伴奏を付けた演奏。カントルーブ編の『オーヴェルニュの歌』の数曲とヴィラ=ロボスの「ブラジル風バッハ」が入った盤の最後に収められている。カントルーブやヴィラ=ロボスならダブラツとかロス=アンヘレスとか他にも素晴らしい歌唱は幾つもある。しかしこと「ヴォカリーズ」に関しては、円熟期の、技術的にも申し分のない、そして情念の極みのごときこのモッフォの歌に代わりうるものはとても想像が出来ない。ストコフスキーがまた濃密なロマンティックな伴奏を付けていて、モッフォの歌と一体化していて、それは殆ど奇跡に近いほど。


この演奏について、僕にとって忘れられないのは、まだ高校生の頃、よく聴いていたFMのNHKの日曜の夜の番組で『夜の停車駅』という、江守徹さんが詩などを朗読する番組のテーマ音楽に使われていたということがある。この手の朗読番組はそれこそ質の悪い感傷の切り売りみたいなものに堕ちることが少なくないのだが、江守さんの朗読はいい意味で格調高く、上手かった。鮎川信夫の余り知られていない詩の朗読があったりして、今でもその声の雰囲気をありありと思い出すことが出来る。モッフォの歌う「ヴォカリーズ」はそんな(意味を持った)詩の言葉たちを、言葉を脱ぎ捨てて声だけで抱きとめ、深夜のしじまの彼方に連れ去っていった。こうしたポエジーや感傷。これらが毒にも薬にも「なる」ということが実はとても大切なことなのだと思う。涙や感傷は生きていくための栄養剤になりうる(そして毒にだってなりうるということだ)。だから僕たちはそれらに対して時に真摯に付き合うということも必要なのだろう。因みにこの「ヴォカリーズ」の演奏、大切な誰かと一緒に聴くのでないのなら、やっぱり一人で(車の中で?)聴いた方がいいだろう。そして出来れば姿の隠れる夜に……。
(2001年3月)