プロコフィエフはどちらかというと苦手な作曲家かもしれない。正直に言うとあのメタリックな(と僕には感じられる)綺羅を張った響きと完璧なまでに整えられた人工的な音楽の構築美にどうにもなじめないものがあるからだ。精巧に磨き上げられたゴールドやシルバーの音がbrillianceを競いあうゴージャスな音響ではあっても、ぬくもりのある木質の音からは最も遠いところにあるような気がするのだ。もちろんその精巧な隙のない音楽にはいつも圧倒されるし、小学校時代に誰もが経験する『ピーターと狼』以来、その素晴らしい音の建築から知らず知らずのうちに耳の感覚が蒙ってきた恩恵もはかりしれない(『ピーターと狼』は今更ながら凄い傑作だと思う。大袈裟に言えば人間の文化の大いなる財産の一つだろう)。そう、プロコフィエフは間違いなく〈天才〉なのであって、僕などの凡人の感性の及ぶところにはいない。あの『ロミオとジュリエット』2幕の「ティボルトとマキューシオの決闘」から幕切れに至る部分のオーケストレーションを見よ。あの音楽を聴いて胸躍らなくなくなったら、オーケストラ音楽から去るべき時だろう。  
坪井 秀人
 

だから学生オケ時代、選曲会議の時のこと、ヴァイオリンの先輩がショスタコーヴィチの交響曲を候補に推してショスタコーヴィチこそは〈20世紀最大の天才〉とのたもうた時に、僕は内心、それは絶対に違う、それを言うならプロコフィエフ以外にはあり得ない、と思ったものだ。現在はその先輩の言葉に一も二もなく同意するが、それは誰が〈天才〉で誰がそうでないか、ということに興味が薄れたという我が〈老成〉に拠るところも少なしとしない(それでもモーツァルトやシューベルトは天才だと今でも言ってみたくなるのはなにゆえか)。こう言い換えてもいいのだろうか、20世紀は〈天才〉に似合わない、と(そして今やもう21世紀)。〈天才〉はいつの時代でもその天才をもって奉仕しなければならない宿命から逃れられない。モーツァルトはさしあたり宮廷社会の人々に奉仕したが、言わずもがな、その〈奉仕〉は時間も空間も越えていく。プロコフィエフももちろん共産主義体制の〈プロレタリアート〉のためだけに奉仕したわけではない。だが、西欧の音楽界の寵児だった彼がソ連へと復帰していく過程で、むしろ積極的な奉仕の側面が強まっていったのではないだろうか。彼の音楽には聴衆への配慮、聴衆へのサービスが時々透けて見えるのだ――それに対してあえて言うなら、僕みたいなひねくれた聴き手は音楽から奉仕など受けたくないということになろうか……。
もちろんこんなことは個人的な好みのことだから感じ方はひと様々だろうが、少なくとも僕にとってのプロコフィエフの音楽の感覚的な印象は、触感的な〈冷やっこさ〉に尽きる。そもそも当の作曲家のねらいもそんなあたりにあるように感じられてならないのだが、いかがだろうか。例えば同じ〈冷やっこさ〉でもシベリウスのそれは空気的なものであり、指や肌で触れた直接の感覚とは異なる。同時代のソ連の作曲家、例えばショスタコーヴィチの冷徹な音楽の印象とも違う。ショスタコーヴィチの音楽の冷たさはある種文学的なコンテクストを背景に持っていて、一言で言えば〈イロニー〉との通路を持っている。それは確かに冷たいが、感情的な冷たさなのである。それならストラヴィンスキーは? ――といったように比較を連ねていけば20世紀の作曲家の温度分布表の如きものが出来上がるかもしれないが、そろそろこのあたりで切り上げてプロコフィエフの〈冷やっこい触感〉の魅力について語っておかなければならない。

プロコフィエフの音楽の中で僕が偏愛するのは何を措いてもヴァイオリン協奏曲の1番。初演されたのは1923年になってからだが、作曲されたのはごく初期、『春の祭典』と並ぶバーバリズムの前衛作『アラーとロリー』とほぼ同時期、1917年に完成された曲だ。これは僕にとっては本当に別格の曲で、ときおり皆が寝静まった頃、あのヴィオラのトレモロの上に乗って浮かび上がる艶っぽいヴァイオリンの主題を、夜のしじまの奥に探りだそうとしている自分がいる(お気に入りの演奏は、色々と聴いてみたけれどやはりチョン・キョン・ファに指を差す。これまた素晴らしい演奏のストラヴィンスキーの協奏曲と一緒に入っている我が愛聴盤は、いつも手の届く所に置いてある)。ソ連復帰後に完成された2番の方は第1楽章の短調のほの暗さがプロコっぽくなくて敬遠してしまうのだが、1番は軽やかでみずみずしいヴァイオリンの音色が〈冷やっこさ〉にほんのりと上気を添えていて、星空の彼方にファンタジーを誘われるような夢見心地の気分を味わわせてくれる。僕はこの音楽を絶対的に夜に聴きたい。星のまたたきが微かなトレモロのようにざわめいて、その向こう側から、それはやって来る。そしてしばしの間僕の周辺を踊り戯れたのち、また向こう側へと帰っていく。明滅する星の彼方に――。
彼方からやって来て、また彼方へと立ち去っていく、竹取のかぐや姫みたいな音楽。それは人間的な熱い血液の迸りとは違うものでなければならないはずだ。そう、それは冷やっこくなければならない。月の世界から訪れた音楽のように。そしてそんな物語めいた音楽のためには、作者の生な情念や肉声は抑制されねばならず、『ピーターと狼』の語り手のように演出された声色こそが求められる。自分のためではなく、まさに何ものかに奉仕する音楽。私小説や随筆はそこからは潔癖に排除されるのだ。だからこそプロコフィエフは映画を含む劇場のための音楽をたくさん書いたし、それらは彼の代表的な仕事として評価もされている。僕は残念ながらほとんど詳しくないのだが、『炎の天使』その他、近年のプロコフィエフのオペラ復興にはめざましいものがあるし、彼がソ連に復帰して最初に成功した作品『キージェ中尉』ももとはといえば映画音楽だったわけだ。しかしプロコフィエフの作品の中で最も成功した領域は何と言ってもバレエのための音楽であろう。
僕は幸運にもと言うべきだろう、プロコフィエフのバレエの代表作『ロミオとジュリエット』と『シンデレラ』を見るチャンスに恵まれた。バレエ好きにとっては珍しくも何ともないことだろうが、オペラは聴いてもバレエは見ず、バレエは見てもオペラは聴かないという人は少なくないのではないだろうか。〈オペラを聴く〉とは言いうるが、〈バレエを聴く〉とはちょっと言い得ない。もとの映画のことを知らずに 組曲『キージェ中尉』を演奏会やCDで聴く人が今はほとんどであるように、『ロミオとジュリエット』も専ら組曲版や抜粋版・全曲版を問わず純粋なオーケストラ音楽として聴く人は数多い。かく言う僕なども最初はマゼール/クリーヴランド管弦楽団による全曲版からの抜粋のレコードを繰り返し聴いたのが最初の出会いだった(あれは本当に美しい演奏だった)。だが、それはバレエではなくて〈バレエ音楽〉というオーケストラ音楽を聴いているのに過ぎない。特に日本では〈多目的ホール〉などと称する箱を乱造しながら、同じ劇場で芝居もやればコンサートもやり、オペラもやればバレエもやって、しかもやって来るお客は大半は別人種であるということが常態となっている。これでは劇場という空間の多方向的な可能性などただのお題目にしかなるまい。箱を運営する側とエージェンシーの今後の課題だろう。


閑話休題、僕が『ロミオとジュリエット』を見たのは、パリ・オペラ座のバレエの来演、会場は名古屋市民会館だった。もう30年近くも前のことなのでほとんど記憶にないのだが、衣装と照明がピンクっぽい色調でとてもセンス良く統一されていた、そんな印象が今でもぼんやり残っている。ともかくレコードで聴き慣れていた音楽が舞台の上で身体の動きによって受肉していくさまに立ち会って興奮を禁じ得なかったことだけは確かだ。ところが不運なことにこの時、僕はバレエを最後まで見ることが出来なかった。2幕が終わったところだったかに突然舞台に現れたのは大屋政子女史。異形のいでたちと〈お父ちゃん〉の台詞で有名だった帝人会長令夫人だ。彼女いわく、ロミオ役が足を挫いてしまった、だからこれ以上公演を続けることは出来ない、と。だが大屋氏のパフォーマンスはそれで終わらない。このホールはバレエを踊る空間を確保できていない。バレリーナが足を挫いたのはホールのせいだといわんばかりの剣幕だが、最後は笑顔でお辞儀して会場からは拍手喝采。聴衆のこの体たらくには呆れるばかりだったが、大屋氏の意見は上記の日本の箱物行政の問題に一脈通ずるところは含んでいる。それ以来『ロミオ』の組曲は実演でも何度か接したが、どうにも足を挫いたロミオと大屋氏の印象が付きまとって離れない(その後大家さんはウィーンの空港でも亡くなる前に目撃したが、帽子からストッキングまで真っ赤なコスチュームで、地元の人々の注目を集めていたことは言うまでもない)。
『シンデレラ』を見たのはまだ昨年の5月ことで、場所はチューリヒの歌劇場である。チューリヒ歌劇場は以前、旅行として訪ねたときに幸いにもアルノンクール指揮で『コジ・ファン・トゥッテ』(演出は現在の一つ前のポネルのもの。亡くなる直前のルチア・ポップがフィオルディジーリを歌った)を観ることが出来、それが素晴らしく水準の高い演奏だったので、この劇場は今回の3ヶ月のチューリヒ滞在の楽しみの一つだった。ただ、住んでいた所が郊外の田舎の村だったために、終演が深夜になるオペラに頻繁に通えるような雰囲気ではなかったので、滞在中このほかに観ることが出来たのはコルンゴルトの『死の都』とラモーのオペラ・バレエ『優雅なインドの人々』にとどまったのは寂しいことだった(『ホヴァンシチーナ』の切符も買っていたが風邪をこじらせて泣く泣くキャンセル)。
それでも特にウィリアム・クリスティの指揮になるラモーは僕の今までの劇場体験の中でも屈指の素晴らしい舞台で、まさにギャラントな光彩とセミオティックな読解を見る者に迫る演出、そして何よりも幽玄でありながらも溌剌としたラモーの音楽を全身で浴びて文字通り至福の時を過ごしたのだった。幕が終わるたびに溜め息が漏れ、隣の席のおばあちゃんと微笑みを交わす。あの晩のことは生涯忘れられないだろう。
さて、『シンデレラ』だ。これはそのラモーと同じくハインツ・シュペールリ(Heinz Spoerli)の振付・演出になる舞台。シュペールリはバーゼルやシュトゥットガルト、デュッセルドルフなどで実績を上げ、1996年にチューリヒ・バレエに招かれてから、ここの劇場のバレエの水準を飛躍的に向上させたと言われている。チューリヒは今バレエが面白いのだ。彼の振付は奇を衒うということはなく実に正統的でスマート。ただし通常3幕で上演するところをシュペールリは2幕仕立てに変えており、この変更によって『シンデレラ』の物語を王子ならぬあるソロダンサーが慈善舞踏会で一緒に踊るのに相応しいパートナーを探し求める物語として読み替えるという大胆な解釈を行っている。例えば通常版の第3幕で王子が片方の靴の主(シンデレラ)を異国に探しに行く旅は、ソロダンサーがボリショイからパリ・オペラ座そしてコヴェントガーデンへと踊り子をたずね歩く旅へと翻案される。
こうした読み換えは実際の舞台からはちょっと伝わりにくいものであったが、こうしたコンセプトを含むことによって、シュペールリの演出は『シンデレラ』がまさに目の前で踊っているようなバレリーナたちの物語なのだということに意識を促している。姉妹たちを男性のダンサー(もちろん衣装や仕草は女性)に踊らせてユーモアを醸し出すなど心憎い演出は随所に見られたが、2幕の幕が上がって特に王子が靴の山の上に座り込んで途方に暮れているシーンなどはシュペールリの演出の中でもとりわけ美しい場面だろう。うずたかく積まれた靴の上で、王子は探しているパートナーの靴を見つけられずに悲しみにとらわれているのだが、その靴はよく見るとすべて履きつぶされたトウシューズなのだ。つまり、この靴の山は、プリマバレリーナという劇場の頂点を目指すバレリーナたちの汗と涙の結晶を意味しているのだ。その頂点がここではシンデレラその人になぞらえられているわけである。

Opernhaus Zürich Magazin, Nr.10 Spielzeit 2002/2003

当日はマチネーだったせいもあって開演前からバレリーナのひよっこたちと未来のステージ・ママたちで一杯。演目も『シンデレラ』ということもあって子どもが客席の半分以上を陣取るような印象。確かにチューリヒでもこういう時ばかりは客層がかわるわけだが、オーケストラの演奏(この劇場の常連であるフェドセーエフの指揮)はプロコフィエフの難曲に立ち向かうべく、いつもと同様に手を抜いている余裕などはない。ウィーンの国立歌劇場でもそうだが、劇場付のオーケストラはバレエの弾むリズムが本当にうまい。それにプロコフィエフの生半可ではない手の込んだ音響のモダニズムにも鋭敏に対応していて感心させられた。しかし演奏者よりも、この作曲家が踊りのことを本当によく心得て曲を作っていることにあらためて驚きを抱かされたのである。あらかじめ踊り手たちの身体の動きを想定して作曲しているのではないかしらと思うことしばしばであった。『ロミオとジュリエット』もそうだが、一度物語との関連が頭に入ってしまうと、音を聞いているだけでバレエの踊りの動きや劇場の雰囲気まで彷彿とさせるような喚起力を持っているから、本当に大したものだと思う。そして恐らくそうした運動を喚起させる音楽に大いなる意味を持ってくるのが、他ならぬ〈冷やっこい触感〉ということになるのではなかろうか。
このバレエもヴァイオリン協奏曲第1番と同じように夢見るような幸福にみたされて幕切れとなるのだが、妖精のおばあさんが乞食の姿で登場する神秘的な場面(その2度目の登場の時にシンデレラに靴が与えられる)や12時を告げる時計の主題が出てくる場面などにあるように、現実の世界と〈向こう側〉の世界とがこのバレエでも交錯しているわけで、そうした此岸と彼岸とを往還する構造のファンタジーに無機質なまでに冷やっこいプロコフィエフの音楽は似つかわしい。『シンデレラ』はディズニーの看板映画でもあったが、そもそもプロコフィエフの音楽自体にディズニーのファンタジーとの親近性があるように思われるのだ。バレエを踊るバレリーナたちがまばゆい光線の中であまりに優美に踊るとき、もはや彼女ら/彼らは人間世界の住人とは違う妖精に近い存在なのであって、人間の血とは違うものが流れているのではないかと思うほど。ここでは『妖精の女王』(パーセル)から『真夏の夜の夢』(メンデルスゾーンそしてブリテン)へと続く系譜にプロコフィエフも連なっているのであろうか。


踊るプロコ! 身体の動きを彷彿させる舞踊の化身としてのプロコフィエフの音楽は純粋な器楽作品や交響曲の中にも共通するものだ。彼の作品の中でも恐らく最も演奏される機会の多い交響曲第1番、いわゆる「古典交響曲」など、アレグロの第1楽章からモルト・ヴィヴァーチェの第4楽章まで、すべて踊りの(踊ることの出来る)音楽と言ってもよく、とりわけ第3楽章のガヴォットなど、これはもう身体を揺らさずに演奏することも聴くことも難しい音楽ではないだろうか。あのpesanteで溜めてから入る出だしの部分を思い起こしてみよう。
今晩のメイン・プログラムである交響曲第5番(『シンデレラ』と同じ1944年に完成され、翌45年に初演された)だって、優秀な振付家がデザインすれば充分にバレエの音楽になるだろう。幾つか例を挙げてみよう。まずは第1楽章の展開部手前のanimatoの動機。

こういういわば繋ぎの楽句などには随所に踊りの要素があるが、譜面を見ているだけでも手が伸びたり足があがったりするような身体の動きが目に浮かんでくるようだ(譜面じたいがすでに身体の運動を暗示していないだろうか)。第2楽章の冒頭のクラリネットの動機もそう。やわらかい筋肉を備えた優秀な(しかも女性というよりはむしろ男性の)踊り手の肉体が浮かんでくるようだ。

そして第4楽章、これもまたこの曲で大活躍のクラリネットによる主題。身体の動きに応じて聴く者も演奏する側も頭を空っぽにしておく必要があるかもしれない。そう、やっぱりここでも音楽は冷やっこくなくては……。

少なくとも西欧の芸術において(そして日本でもその萌芽は見られたのだが――山田耕筰や石井漠の例を見よ)20世紀の初頭は〈バレエの時代〉だったとはっきり断言できるだろう。バレエ・リュスの運動を進めたディアギレフやフォーキンといった人々との関わりの中から音楽も全く新たなフィールドを得た。その中の代表的な存在がストラヴィンスキーでありプロコフィエフであったわけだ。頭に血が上った音楽ではなく、手足の隅々までバランスよくエネルギーの行き渡った音楽。それはもちろん踊る音楽であって、踊らされる音楽などでは毛頭なかった。21世紀を迎えて、それではその踊りの時代はどうなったか? 踊らされている人ばかりが右にも左にも、いませんか? 


(注) この〈奉仕〉という言葉を用いたプロコフィエフ自身の言葉を紹介しておこう。まさに今晩に演奏される交響曲第5番に関わっての文章だ。アメリカ合州国ソルトレイクシティでのユタ交響楽団の演奏会で指揮者のアブラヴァネルがこの交響曲を取り上げた際に演奏中止せよとの脅迫を受ける事件があったが、プログラムは予定通り演奏された。このことを受け止めてプロコフィエフは次のように述べる。
 《わたしの第五交響曲は、自由で幸福な人間への、その力強い才能と、その純粋で、けだかい精神への賛歌として作られた。》
 革命後、共産主義体制を離れて合州国を含む西欧諸国を渡り歩き、1930年代に粛清の嵐が吹き荒れるソ連に復帰したプロコフィエフの、これが〈政治的〉な発言なのだ(そしてよく知られているように、彼はスターリンと同じ日に死んだのだ)。そんな彼が言葉を継いで述べたのが次の〈奉仕〉に関わる一節なのである。
 《わたしの考えでは、作曲家は、詩人や彫刻家や画家と同様、人類に、人々に奉仕する義務がある。彼はまず第一に市民でなければならない。したがって、彼の芸術は意識的に人間生活を賛美し、人類を輝かしい未来へと導くべきである。これが、芸術の不変の規範であるとわたしは思っている。》
(出典は『プロコフィエフ自伝・評論』。西牟田久雄・園部四郎訳、音楽之友社、1964)