音楽を演奏するのでなく音楽について語ろうとするならばひっきょう私個人のディレッタンティズムの開陳を避けて通ることは出来ない。私は客席の1ディレッタントとして語る以外にない。レコード・音楽雑誌に氾濫する音楽批評やレコードのライナーノーツに見られるあの恥知らずで馬鹿げきった文章の数々は、音楽について語ることのむずかしさとむなしさを示す良い見本である。  
坪井 秀人
 


しかし現実には日本でも家庭で楽器を演奏することが普及してきたと言い条、音楽にたずさわる人間は、ステージの上ではなく客席に座っていることの方が何といっても多いのである。一方で音楽の充分な潤いに満たされぬ地方の町々が存ずるかと思えば、『ぴあ』など見れば一目瞭然の世界最大の音楽都市東京でのあの恐るべき”供給過剰”、角川文庫みたいに蓮っ葉に売り飛ばされるレコード・CD……。音楽文化の成熟とは音楽のインスタント的な<消費>、つまりその物神化に他ならないのである。私たちはマーラーの交響曲のファクシミリをさえ容易に購入出来る幸運な時代に生きている。しかし、その手書き音符に篭められた、音がこの世の空気の中にはじめて生起するその音たちの起源(オリジン)とも言うべきもの、そういうものからこんなにも遠く隔たってしまった聴衆が今まで顕れたことがあっただろうか。もしも(少数の)真に自覚的で反一同時代的な演奏家がいなかったならば、音楽(の再創造)は様々な先入観と規範性の中だけに息づくカビ臭い文化財になり下がるのがオチである。レコード(文字通りの「記録(レコード)」)で初めてその曲の演奏を聴きそれから演奏会場でそれを追体験する私たちは、良くも悪くも「初めに複製(コピー)ありき」の時代の人間なのである。


ウィーンは、ひとしなみの観光客である私にとってもう一度でも二度でも訪れてみたい町。しかしこの町が東京でもあるまいに、何とも御都合主義の町であることもまた間違いない。自分の都合の悪い奴らは疎外・追放しておいて、彼らの力や名声が必要になった時にはウィーン原産のレッテルを貼り付けてずうずうしく呼び戻すのが、一大観光都市ウィーンのやり口。勿論、逆の言い方を用いれば、ウィーンはそれだけの町なのである。ウィーン・フィルがマーラーの交響曲全集のレコーディングに取り組み、ベルクの「ヴォッエック」や「ルル」をシュターツ・オパーの舞台にのせるこの町は、かつてマーラーやベルクを異端視しあるいは追放した町でありつつ、それらの音楽のどうしようもない土壌でもある(ということになっている)。かつて斜陽ハプスブルク王朝のアンダー・ワールドを形成していた<世紀末>の芸術は今や国際観光の目玉商品として美術館やホールの表舞台の看板になっている。チェルノブイリの事故で原発設営を休止した良識ある国家オーストリアの悪口を連ねることは私の意に満たぬが、もっとはっきり言えば芸術の都ウィーンは現代の芸術の享受の歪みのもっとも端的な示標なのである。つまりウィーンは、その頑強な保守性によってこそ革新的な天才を生み出して来たのだが、<異人>を誘引することでその秩序を保とうとする<王権>みたいなもので、町そのもの即ち受け手・聴衆の土壌は相も変わりはせぬからである。


そんな御都合主義の町ウィーンにとって最も都合の良い音楽家は、作品に夾雑物を放り込んで新ウィーン楽派の先輩よろしく不協和音と無調を奏でながら同時にレントラーのような土俗的舞曲やフォークロリックなコンテクストを背反同居させた、異化・革新の作曲家グスタフ・マーラーなどではなくて、リヒャルト・ヨハンの両シュトラウスの限りなくしみじみとしてノスタルジーに浸らせてくれるウィンナ・ワルツなのである。市立公園にあるヨハン・シュトラウスのヴァイオリンを弾く胴像は、音楽都市ウィーンの表札みたいなものだろう。マ―ラー、ベルク、シーレ、ココシュカと同じ<世紀末>でも、リヒャルト・シュトラウスだったら(たとえ「サロメ」「エレクトラ」の如き穏やかならざる楽劇を書いた男であっても)危険も少ない、無難だ、だから許せる。それどころか「ばらの騎士」二幕のあのワルツこそ、これぞおらが町の純粋培養天然100%のウィーン音楽だ、ということになる。

シュターツ・オパーは確かに安価で(立ち見で)貧しい音楽学生に門戸を開けている。彼らはジーパン姿でスコアを見ながら毎晩勉強出来る。しかし一方でそこはアナクロの見本みたいな階級意識まる出しのブルジョワ紳士・貴婦人や日本の高貴なおばさん観光客がドレスアップして、「ヴォツェック」の疎外・抑圧された下層階級の悲鳴に涙を流しに聴きに来る場所なのだ。音楽は、文化は、<中央/地方>の断層や階級性(ヒエラルキー)を最も如実に見せつける現代的示標なのである。ウィーンにおける如上のディレッタンティズムはその見事な範例である。ここのところシュヴァルツコップうたうリヒャルト=シュトラウスの「四つの最後の歌」に聴きほれている私もそのディレッタントというところだ。彼の崇高な遺作「変容(メタモルフォーゼ)」にセンチメンタリズムを感じつつそれを聴き続けることが出来たなら、あなたも純粋培養のディレッタントだと思っても良いだろう。しかしせめて今夜の名古屋での「ドン・ファン」がそういうものをぶちこわす演奏であってくれないか、ひそかに期待している次第である。
(1986年10月)