胸の高まりを抑えてムジークフェラインのドアを開ける。ウィーンに来て4か月近く。ようやくウィーン・フィルの演奏会を聴くことが出来るからだ。観光ツアーのパックで高い金を払うならともかく、一般にウィーン・フィルの定期やザルツブルク音楽祭などのチケットは入手が不可能に近く困難であると言われている(立見席は別)。ある程度それは当たっていて、何年もここに滞在する知人で座って聞いたことはまだ一度もないという人もいる。しかしウィーン・フィルは楽友協会が主催するチクルスの中でシーズン中数回は一般客に聴くチャンスを与えている。ただしチケットは安くない(とはいえ日本のような気違いじみた価格ではない)。
 
坪井 秀人
 
 

安く聴く方法はしかし別にある。ムジークフェラインの建物の中にジュネスという青少年を対象とした演奏会を企画するオフィスがあって、そこでチケットを買う。因みに今回の券はパルレッテの比較的いい高い席で280シリング(約3400円)。帰国するまでに今回の他にレヴァイン、マゼールの棒でブラームス、ドビュッシー、マーラー等を安く聴く予定だ。安いのには理由があって、コンツェルト・プローべ、つまり定期のための通し練習を一個のコンサートとして聴くわけだ。会場は満席で立見も一杯だ。楽員も平服で、セーターを肩に引っ掛けたいつものスタイルでこの日のシェフ、アバドが登場。舞台上中央のオルガン席にはソロのシェリル・ステューダーとワルトラウト・マイヤーが待機。曲目はマーラーの交響曲第2番 《復活》。

「ジュネス」は本来青少年向けに提供されているものなので、席の周りはジーパンの青少年諸君と言うことが多い.彼らは授業の一環などで「強制参加」させられていることも多いようだ.「ジュネス(現地発音はユーネスに近い)」のチケットは一般のターゲスカッセではなく、事務局で直接購入する.ベーゼンドルファー通り側の奥まった位置にあるので臆せずいくこと.
   


アバドの棒はオケの音色をみずみずしく噴出させ、2楽章の舞曲楽章では「ユーゲントシュティール的」とでも言うような蠱惑的な表情を作り出す。ともかく弦も木管も音の溶け合い方が実に美しい。ところがアルトを独唱とする4楽章からアクシデントが始まる。マイヤーのアルトはでたらめなテンポでアバドの棒と完全にずれてしまう(東京でシノーポリの棒で聴いた同じ曲の彼女はもっとましだった)。彼女は今シーズンのシュターツオパーの目玉、「リング」チクルス(ドホナーニ指揮)でも歌うことになっているし、リサイタルも開いた。体調が悪かったにしても余りにひどい。ずれたまま最終楽章に突入。もっと大きなアクシデントが待っていた。オケのトゥッティが止んで舞台裏の別働オケの金管が鳴り響く、はずなのだが(モニター使用)、アバドの棒がついに止まってしまう。金管が聞こえてこないのだ。場内のざわめき。やれやれ。私も背広を脱いで怒りを表明。隣のおじさんとぶつくさ言い合う。舞台裏ではへグナーも吹いているはずなのだが、再開後の金管はメロメロ、アンサンブルは崩れるわで、残念ながらウィーン・フィルの精神力の弱さすら感じ取ってしまった次第。ステューダーは立派、アバドも怒りをぶつけてか珍しく激しい燃焼を見せてともかく終了。(定期の方は成功裡に終わったようだ)

多少スキャンダラスな要素も見え隠れするこういう状況が、ある意味ではとてもウィーン的なのかもしれない。その前日、実は私はタダでアバド/VPO《復活》をもっといい状態でムジークフェラインで聴いていた(日本人観光客のマナーがただでさえ問題になっているのでこれ以上詳しくは書けない)。その体験から確実に言えることは、ウィーン・フィルと言えども白紙の状態から無限の解釈の可能性に向けていつも音楽を作っていくということである。コンマスのキュッヒルがスコアをこまめにチェックしていたのは印象的だった。音楽はまさしくナマモノであって美味しく醗酵してくれることもあれば、簡単に腐敗してしまうこともある。その紙一重にミューズは宿る。


その夜は友人が持っていたタダ券で一緒にコンツェルトハウスの別の演奏会にハシゴ。前半がクセナキス、後半がダルラピッコラのオペラ《囚人》。「ウィーン・モデルン」の一環。ORF響とソリストが熱演でウィーンフィルの耳直しをする結果になった。《囚人》は《ヴォツェック》の系譜に連なるまことに深い内容と時代性を持った作品(シェルへン指揮の歴史的名演の録音がある。一聴をお薦めする)。

今年の「ウィーン・モデルン」はイタリアのこの作曲家ダルラピッコラが大きな柱で、他にへンツェ、クセナキスら。これらの人々の作品を私はフィリス・ブリン=ジュルソンの独唱会やアバド指揮グスタフ・マーラー・ユーゲント管で聴いたし、今週もアンサンブル・アンテルコンテンポランで聴く。アバドはとかく色々と言われがちな要素がなくもないが、この「ウィーン・モデルン」もグスタフ・マーラー・ユーゲント管も彼が創設したわけで、彼がその地位に相応しい仕事をしていることは疑いない。

グスタフ・マーラー・ユ―ゲント管は夏にギーレンの棒で何とも挑発的なマーラー6番を聴いていたが、アバドは極めて清潔かつ生き生きとしたクセナキスやへンツェを聴かせた。彼は公開プローべも開き、若手ペレッツァーニの初演曲では作曲家とも念入りに打ち合わせて丁寧にオケを仕上げていた。クセナキスでピアノを担当するウッドワードが座り、棒が下ろされると、オケは何と《運命》の冒頭を演奏して挨拶。ウッドワードも団員も大笑いという情景もあった。本番ではクセナキスやへンツェらも舞台に上り、特にへンツェに対する聴衆の熱狂は大変。

へンツェの野蛮なほどのエネルギーは、メシアン、ケージ死すともまだまだ<モデルン>に前進力があることを裏付ける。現代音楽への熱い支持とアルノンクールらの定着、それにウィーン・フィルやオペラ座の伝統とが矛盾無く同居しているというのがこの街の恐るべき底力である。日本の音楽の状況は個々は優れていても全体に実を結ぴそうにない。残念ながらいくら経済を動かしても勝ち目はあるまい。

ところがウィーンでもこれは妙だ、という音楽のシーンがたまにある。アメリカ音楽とフランス音楽だ。コンツェルトハウスと先のジュネスが各々のチクルスを展開。前者では女性指揮者エドワ―ズとユンゲ・ドイチュ・フィルがビートルズと親交のあったあのフランク・ザッパを演奏。パロディと遊ぴに溢れたザッパにロック世代の聴衆は熱狂したが、おじさんたちは早々に退散。確かに何かが違う。私の友人(アマチュアで合唱に参加)も出演したアイブズの交響曲第4番という難曲(しかし非常に美しい)も聴くことが出来、それはそれでいい思いをしたが、聴衆との一体感は少し寂しい。

フランス音楽では一ヶ月にわたり「サティと6人組」という大規模なチクルスが展開された。私はアンサンブル・ウィーン=べルリンの他、フランスのリル国立管で6人組の成果 《エッフェル塔の花嫁花婿》 を聴いた。フランス語で行われたせいもあろうが、コクトーの軽妙なドタバタ劇のエスプリにウィーンの客席は無関心。ぞろぞろと席を立っていく。うーん。

ウィーンの聴衆は正直で、(高い金を払ったというだけで)席に金縛りになっている日本の聴衆とは全く違う(とはいえウィーンっ子でもマナーの悪い輩はかなりいる)。それがハーゲンやアルティス等のクワルテットが陰影あるドビュッシーやラヴェルを弾くとまるでそれらが自分たちの土地が育てた音楽であるかのように慈しんで聴く。シュルツとシェレンべルガーのデュオのコンサートで《ドン・ジョヴァンニ》と《魔笛》のアリアが始まった時、客席の老人夫婦がにっこりと微笑みあった情景を私は忘れることが出来ない。たまにシュターツオパーの安い席を買ってこういう聴衆を観察しながらうたたね気分で時間を過ごす。これに勝る「ウィーン音楽」の利用法を考えるのはちょっと難しいかもしれない。


名古屋のムジークフェラインではどんなフランス/日本のブレンドが味わわれていることでしょう。聴衆の皆さんと団員のわが楽友(ムジークフロインデ)が美酒の余韻を共に味わわれんことを遠くから念じております。
(8. Nov. 1992, WIEN)