雪の下での北陸の冬の独り暮らしはおのずと内向を強います。≪寒い寒い日なりき≫などと口ずさみながら(中原中也「冬の長門峡」)……。あなたの生地である北ドイツも冬は厳しいでしょうが、こちらの雪はじめじめべたべたしていて実に厄介です。そういう暮らしの中からは滅多に交響曲を大音量で聴く気にはなれません。ここ金沢には優秀なプロの室内オーケストラがありますが、ロマン派の交響曲を舞台に載せることはごく稀です。というわけで自宅でも演奏会場(まあこれも殆ど足が向きませんが)でもあなたの交響曲を聴くという体験からずっと遠ざかってきたわけです。
 
坪井 秀人
 

でも探してみたら、あなたの「第二」のCD、わが家にありました。一つはトスカニーニですが、もう一つがちょっと変わっていて、ミュンシュがボストン・シンフォニーと「プラハの春」に1956年に客演したライヴ。サブ・プロはオネゲルの「典礼」(第三交響曲)だったようで、これも一緒に入っています。音楽に大変詳しいあるお店の方が薦めてくれたのですが、確かに剛毅でいてよく歌い、かつ構成を明瞭に示した立派な演奏で、第二楽章アダージョ・ノン・トロッポをこれだけ内発的な緊張感を漲らせて弾ききった演奏は他にありません(特に62小節以降のヴァイオリン!)。

久し振りにスコアを引っ張り出して聴いていたのでしたが、しかし途中で眠ってしまいました。ミュンシュとこの曲とのコンビネーションが僕にはちょっと異和感を感じさせるのです(あなたのせいではありませんからね)。懐古趣味だと言われるかもしれませんが、僕はやっばりバルビローリとウィーン・フィルに帰っていくようです。あれはもう音をかけなくても音楽の空気のようなものが伝わってくる、そんな演奏でしたね(三楽章のウィンナ・オーボエの響きが懐かしい……)。
   
   


交響曲も協奏曲もご遠慮しておりますが、最近あなたのリート(歌曲)を好んで聴くことは多いです。でも、あなたの音楽の中でいちばん光っているのは室内楽で、これは誰にも異存がないと思います。あの宝石たちの輝きが分かるのには人生の酸いも甘いも嘗めていなければならないような気がするのですが、これはどうしてでしょうか。アルティス・クワルテットなどの清新なスタイルで聴いてもあなたのクヮルテットには晦渋な影があります。ヴァイオリン・ソナタも木管(クラリネット、ホルン)を入れたトリオやクインテットも……。どうしてでしょうか。

唐突ですが、そしてあなたには多少残酷な問いかけであることは分かっているのですが、ヨハンネス、あなたには友だちがいましたか?心からの友だちが―人でもいましたか?大昔の会ったこともないあなたのことを僕などは知る由もありません。少なくとも僕のような俗物はあなたの同時代に生きていて仮に接触する機会が多かったとしても友だちにはなれなかったと考えることがあります。あなた(の音楽)はそれほどに気難しいものだからです。では、それはどうしてなのでしょうか?


あなたは生涯を独身で通された。その理由は他人がどうこうと憶測すべきことではありませんね。ただ、僕があなたの音楽を通して感じてしまうのは、愛(Liebe)においてあなたがトラウマ(外傷)を奥深く負いつづけていたのではないかという感触です。あなたの伝記は幾分かその裏付けとなるようなエピソードを用意しています(幼年時代のことやクララのこと……)。それはけれどもどうでもいい、人は死に、しかし音楽は残る……。あなたの音楽にももちろん<愛>の片鱗を感じる刹那が皆無であるわけではありません。例えば『ジプシーの歌』の中の7曲目「お前は度々思い出すだろう」Kommt dir manchmal in den Sinn 子守唄風のメロディにはうっとりとさせるものがありますね。この曲は引退を表明したルードヴィヒに味があるし、ノーマンももちろん上手い。でも、僕はアスペン音楽祭のライヴ(米ブリッジBCD9025)での今は亡きデガエターニのメゾによる少々くせはあるものの実にしっとりとした歌が気に入っています(彼女は日本ではついに名声を得ることがなかった……)。

あなたには有名な「子守歌」がありますし、民謡曲集(フォルクスリーダー)の編曲の仕事もあります。けれども同じ『ジプシーの歌』なら僕は失礼ながらドヴォルジャークを取ります(あなたのは Zigeunerlied、ドヴォルジャークのは Zigeunermelodien と独語タイトルが若干異なります)。「わが母の教えたまいし歌」を含むあの曲集です。チェコの名ソプラノ、ベニャチコヴァがフィルクスニーのピアノ伴奏で歌うCD (RCA)、お聴きになりました?こんなに温かで懐の深い歌は稀ですよ。その中でも『ジプシーの歌』は白眉です。僕の嗜好のあり方は『ハンガリー舞曲』と『スラヴ舞曲』の関係にちょうど対応しています。僕はこの方面でのあなたの仕事に共感は出来ても、深く耽溺することは出来ません。民謡編曲でもいっそやるならブリテンみたいにエンターテイメントにしてくれた方がずっと気持ちいいじゃありませんか。


「子守歌」(ヴィーゲンリート)は歌曲(リート)の歴史の中で―つの様式、と言って悪ければ一つの重要なジャンルですね。モーツァルト(偽作)、シューベルト、あなた、そしてリヒャルト=シュトラウス……。この系譜の中で考えてもあなたのその様式にはエロースが欠けているのではないでしょうか。あなたには「聖なる子守歌」 Geistliches Wiegenlied というとても美しい「子守歌」がありますね。作品91の『アルトのための2つの歌』の一曲。この2曲はピアノの他にヴィオラを伴奏に伴っている点でも特異です。(こういう編成ではモーツァルトによるマンドリンの使用が先駆でしたが、あなたの試みに匹敵するのはシューベルトの「岩の上の羊飼い」でのクラリネット伴奏ぐらいです)。晩年のピアノ小品集と並んで、恐らく僕が最も愛するあなたの音楽の一つです。

1年ほど前の2月下旬、僕はまだウィーンにいてブラームス・ザール(ムジークフェラインの中の、文字通りあなたの名前の付いた素晴らしいホール!)でマリヤーナ・リポヴシェクのリーダーアーベントを聴きました。これは数多くの<歌声>を聴いたウィーンでの音楽体験の中でも出色の一夜でした。ピアノはチャールズ・スペンサーにエルンスト・コヴァチッチ(当地では評価の高いヴァイオリニスト)のヴァイオリンとヴィオラの伴奏が加わりました。少し変わったプロで、最初にあなたの作品91、次いでウィーンの作曲家ライナー・ビショーフの「かくて私は静かに私自身の内に沈み込む」Und so sink' ich leise in mich selbst hinein といったような表題を持った連作歌曲(ヴァイオリン伴奏を伴う)、マーラーの『角笛』から数曲、パウゼを挟んでリヒャルト=シュトラウスの「ノットゥルノ」(これもヴァイオリンのオブリガート付き)他数曲、というもの。グラーツでも同じプロでやっているはず。ビショーフの曲はインゲボルク・バッハマン(オーストリアのフェミニズムにおいてはしばしば言及される代表的な女性詩人。日本での知名度は低い)らオーストリアの詩人のテクストに作曲されたいかにもアカデミシャン風の難曲でしたが、調性のあいまいさ(もしくは無調)にもかかわらず、リポヴシェクら初演(1989年ウィーン)時のメンバーは説得力を持って聴かせました――室内楽や歌曲のコンサートでアイネムやグルーバー(この人は退屈)など御地の現役作曲家の作品が盛り込まれるのは気持ちがいいですね。

ただやっぱりリポヴシェクに最も適していたのはリヒャルト=シュトラウスでした。「チェチ−リエ」「万霊節」……。そして彼女はアンコールに≪皆さんがよくご存じの歌を……。≫と言ってさりげなく「モルゲン」を歌ったのでした。ここがウィーンでありウィーンの聴衆を前に歌われている、それをごく自然に受けとめさせる素晴らしい歌でした。続いてもう一曲。≪この歌は私にとって深い意味を持っています≫――マーラーの「原光」でした。彼女はリュブリヤーナ(スロヴェニア)生まれ。つまり旧ユーゴを起源としているのです。旧ユーゴの内戦は当時も今も飽きることなく続いています。かつてこの国はたくさんの音楽家を輩出していたのに……。隣の母国の悲劇への彼女の思いが、パウゼの前に歌われた「トランペットが美しく鳴る所」やこの「原光」でもひそかに感じられ、涙してしまったのは僕だけではなかったはずです。


話が逸脱してしまいましたが、このリーダーアーベントの冒頭にあなたの「みたされし憧れ」と「聖なる子守歌」が歌われたわけです。本当に素晴らしい温かい歌でした。リポヴシェクはちょっと何と言うか鼻がつまったようなこもり気味の声なのですが、なおかつよく通る声でもあって、空間を満たし、それがあなたの音楽にはぴったりなのでした。録音では先程のデガエターニがロ−レンス・ダットン(現在エマーソン・クヮルテットのメンバー)のヴィオラと一緒に歌っているのが好きです。ヴァイオリンでなくてヴィオラというのが、いかにもあなたらしい……。

この「子守歌」には「聖なる」geistlich という形容詞が付いています。日本語では「宗教的な……」と訳される場合もあります。この形容詞からリートの領域で僕たちが想起するのはあなたの後輩世代であるヴォルフの『スペイン歌曲集』ですね。この曲集は「宗教的」geistlich と「世俗的」weltlich の二群に分けられています。曲数のアンバランスにあらわなように、彼の個性は後者にあるのかもしれませんね。メ−リケのイローニッシュな世界に没入した作曲家ですもの。けれどもそんな屈折したヴォルフ氏の「聖歌」、僕はとてもいとおしいのです。最後の2曲はストラヴィンスキーが室内アンサンブル伴奏版に編曲していて、その響きがまた深い……。そこには傷ついたいたいたしいリーベ(愛)が感じられる。 Wunden trägst du, mein Geliebter ――最後の一曲のタイトルです。「愛するひと、あなたは傷を負った」……。

ヨハンネス、しかし、あなたは全く逆。世界 Welt と踵を接した聖性の危うさ・傷つきやすさに対して眼を背けているあなたが感じられるのです。 geistlich の対には leiblich (肉体的)を挙げることも出来ましょう。 weltlich と重複する意味もありますが、 Geist (精神)に対する Leib (肉体)。あなたの音楽にはいつもこの Leib を削ぎ落とそうとするこだわりが感じられる。だから表層的な(皮膚的な)快楽を、カタルシスを得られない……。あなたの最晩年のまとまった作品はオルガンのコラール前奏曲の他では「四つの厳粛な歌』ですね。「厳粛」 ernst 、それは「まじめ」とも言い換えられましょう。そう、あなたはまじめだ、まじめすぎるのです。同じ4という数字はシュトラウスの『四つの最後の歌』にもありますが、きまじめなあなたは官能性を削ぎ落として「厳粛」にスコア・ブックを閉じたのですね。

グレン・グ−ルドの弾くあなたの『インテルメッツォ』は、魂の室内に大事にしまわれた僕の宝物です。グールドが勝手に間奏曲だけを繋ぎ合わせた「曲集」ですが、この演奏はグールドの全ての演奏の中でも特別な<深さ>を持っており、他のピアニストを寄せつけません。内向的な、あまりに内向的な……。内へ内へと入り込み蟻よりも小さな見えない空虚な<点>になってしまった、かわいそうなヨハンネス……。残念ながら誰もそんなあなたを助け出すことなんて出来ないよ。ひょっとしたらあなたはそれも望んでいた……?
(1994年2月)