■ワーグナーはレジャーではない?
バイエルンといえばワーグナー、ワーグナーといえばリング。そのリングを本場で四夜とも観られるのが駐在の醍醐味である。2003/2004のシーズン開幕直後の10月、リング・チクルスの申込書を見つけたので、早速はがきを送ると2日後にはチケットが送られてきた。1枚144ユーロ×4枚(4枚通しで買うと10%割引)。チケットは入手困難だろうと思って、「どの席でもよい」と備考欄に書いたのを思い出した。
4つの演目は毎週連続で土日のどちらかに上演される。平日のコースもあるが、働かなくてもいい貴族の方々がいらっしゃるのだろう。1幕しかない「ラインの黄金」を除き、他の3つは、2回の休憩込みで夕方4時から10時半頃までかかる。拘束時間6時間を毎週、しかもあの重厚なワーグナー、は、生半可なレジャーではない。

■ミュンヘン子はワーグナーでも雪靴
ということで、気合十分で普段より少々早めに歌劇場に向かうと、入口への階段に黒山の人だかりが。近づいてみると、何十人もの人達が、"Suche(チケット求む)"の紙を手に持っていたり、値段を交渉したりしている。(このチケットを倍の値段で売ったらどうだろう、という考えが頭をかすめた。)中に入ると、思ったよりカジュアルな服装の人が多い。バイエルン人は実用本位なので、「だって寒いんだもん」とばかりに雪靴みたいなものを履いて平気でオペラに来るのが微笑ましい。

■世界はここから始まった
幕が開く前に客席が暗転し、世界が始まるかのように、暗闇の中で音楽が始まる。というのは、赴任時に船便で送っておいた参考書で予習済である。でも、最初の音を聴いて驚いた。いつものバイエルン歌劇場の音とは違う。バイエルンでリング・チクルスを、音楽監督ズービン・メータ指揮で上演するということは、彼らにとっては威信をかけた一大イベントなのだ。そしてその後に現われたラインの乙女の第一声も、まさに(参考書に書いてある通り)、世界の産声のような印象的な声だ。ドイツ語的なRの発音(ブルブルッという音)がとても美しい。他の歌手達も、どこから探してきたんだろうと思うほど、キャラクターも声も役にぴったりの、選び抜かれた精鋭部隊だ。でも舞台には金魚の泳ぐ水槽が...まぁ現代的な演出をしないわけにはいかないのだろうけれど(だからって青のビニールテープをライン川と言われても納得いかない。)

■一時間の使い方
二夜目、三夜目になると、だんだん耳が慣れてくるのか、多少オケの傷も見えてくる。ワーグナー特有の上昇音型、下降音型が勢いに欠け、ちょっとおさらいモード。ピッチの乱れも目立つ。このメンバーでもワーグナーは難曲なのだろう。と思っていると、休憩時に客席への扉(休憩時には観客は退席し、扉は閉められてしまう)の向こうから微かなVnの音が漏れてくる。どうやらパート練習しているらしい。幕間のほぼ1時間ずつの休憩は、観客にとって、特に社交界に縁のない者にとっては恐ろしく長いのだが、オケにとっては(勿論、喉を休める必要のある歌手にとっても)効果的な時間らしい。

ワルキューレの騎行はさすがに素晴らしく、気分が否が応でも昂揚する。ワーグナーの音楽が政治的に利用されてしまったのも無理はないと思う。が、やはり演出は現代的。舞台は軍事病院か死体安置所で、ワルキューレはナース。羽根のついた兜をかぶったワルキューレらしいワルキューレが観たいものだ。

文と写真 篠原 智子

 
 
篠原 智子
当団楽団員・ヴァイオリン奏者
ミュンヘン特派員
 

■目次
2003/12 ミュンヘンのクリスマス
2004/3 3+6×3の世界
2004/6 ミュンヘンの春
2004/10 皆のためのオペラ
2005/9 シノハラ、ザルツブルクに行く