■ガルミッシュ・パルテンキルヘンとシュトラウスの関係?2003年のヨーロッパは記録的な猛暑で、私がこの地を訪れた6月にはイタリアで死者が出たりしていた。ちなみにこの年(平成15年)の日本は十年来の冷夏になったことはご存知のとおり。

ミュンヘンからガルミッシュ・パルテンキルヘンまでは鉄道で約1時間半の旅である。このローカル線は「ドイツ&オーストリア鉄道の旅」(ダイヤモンド社刊)でも紹介された風景の良い路線で、沿線には、少年時代のリヒャルト・シュトラウスが登った山に近いムルナウもある。

現在のガルミッシュ・パルテンキルヘンはアルペン街道の中心に位置し、ドイツ随一の山岳リゾート地である。シュトラウスがサロメによって得られた収入によりガルミッシュに山荘を建てたのが1908年である。この街とシュトラウスとの関係について、私は全く知らないが、今もこの地には彼の山荘が残っており、彼の墓があり、リヒャルト・シュトラウス研究所 R.Strauss Institut という施設がある。毎年6月には リヒャルト=シュトラウス音楽祭 Richard-Strauss-Tage が開催されている。私が訪れたのはこれがちょうど終った時期で街にはまだRichard-Strauss-Tageの旗がかかっていた。

■リヒャルト・シュトラウス研究所にて聴くアルペン

パルテンキルヘンの街を歩いていると「R.Strauss Institutはこっち→」という小さな看板をみつけた。
迎えてくれたのはマダムという呼び方が似合う(老)夫人であった。

日本から来たことを告げると、何を思ったのか夫人は奥の方から日本で出版されているR.Straussに関する本を抱えて持って来てくれた。丁重に断りながら「何かない?」と訊くと、今度は、一冊のスコアを出してくれた。

表紙には「Tod und … Op.24」と書いてあり、ページをめくると規則的に並んだ三連符が目に入ってくる。とつとつと書かれた音符は、だが、わかりやすく、視るものにきっぱりと訴えかけてくる。「これはコピーで(当然)、本物はウィーンにあって(注.未確認)・・・」とは夫人の説明。 最後まで目を通し、スコアを返しながら「あしたはAlpen Sinfonieを聴きながらZugspitzeに登ろうと思っているんだけど」と夫人に言うと「それは危ない。音楽はここで聴いて行きなさい」と今度は一本のビデオを出してくれた。

それは、ここのプライベートビデオらしく、アルプス交響曲の各場面にあわせた映像を曲をバックに映し出したものである。「標題付きの音楽といえども音の中からイメージを膨らましていくことこそ楽曲理解の神髄であり・・・云々」という方でなければ楽しめる。こういったビデオは大画面で楽しみたいが、通常は館内の視聴覚室(?)で小型テレビ&ヘッドホンで鑑賞することになる。

訪問の記念にゼクト(スパークリングワイン)を購入し、R.Strauss Institutを後にした。

余談であるが、日本に帰ると演奏会のサブプログラムは「死と変容」に決定していた。

文と写真渡邉 慶知

写真の説明(上から)
■ガルミッシュ・パルテンキルヘン駅
■パルテンキルヘン市内.Richard-Strauss-Tageの空色の旗がかかっている
■リヒャルト・シュトラウス研究所
■記念のゼクト

 
渡邉 慶知
当団楽団員・ホルン奏者
 

■目次
第1部:序章〜ガルミッシュ・パルテンキルヘンへ
第2部:Der Anstieg -- 昇っていく
第3部:Auf dem Gipfel -- 山の頂にて
第4部:Ausklang -- エピローグ