■シュトラウスに会いに行く
ガルミッシュ パルテンキルヒェンはもともとガルミッシュとパルテンキルヒェンの2つの町が、1935年に冬季オリンピック(1936)の開催を機に合併して現在の形となった。そのガルミッシュ側旧市街の東の端に位置する共同墓地にシュトラウスは眠っている。

私はガルミッシュ パルテンキルヒェン駅前からタクシーに乗って彼に会いに行ったのだが、運転手のおじさんは作曲家の墓が「共同墓地のどこかにある」ということしか知らない東洋人をなんとかに連れて行こうとわざわざ車を降り、行き交う人に「作曲家の墓はどこ?」と訊きながら案内してくれた。

■山の頂を手に入れる
ついに辿り着いたシュトラウスの墓の前でしばしたたずむ。

彼は、アルプス交響曲で「日没」と「夜」の間に通常「エピローグ」と訳される「Ausklang(結び)」を書いた。日が暮れ、闇に沈んでいく山に彼はどんな想いを込めたのであろうか?
 
私が「作曲家のヴィラを見たい」と言うと、彼はガルミッシュの旧市街へ車を進めた。シュトラウスの住んだ家は共同墓地と街を挟んで反対側、つまりガルミッシュの西端にあるが、ここからはなんとツークシュピッツェをのぞむことができる。なぜ「なんと」なのか。街を訪れたことのある方はご存知かと思うが、観光客で賑わう現在の市街からはツークシュピッツェを見ることはできないのだ。

ヴィラは塀越しにしか見ることができないが、その内部はシュトラウスの生前と全く変わっていないことが、ウィーンのリヒャルトシュトラウス出版社なる団体が提供するウェブサイト Richard Strauss Online から見ることができる。

巨匠は、彼の生きた難しい時代と手が届きそうで届かないツークシュピッツェの頂、そして少しだけ先に生きてやはり山に住んだニーチェに想いを馳せながら作曲に没頭していたのだろうか?

シュトラウスが世を去って60年が過ぎた。世の中は増々難しくなり、もはや何が正義かさえはっきりしない現代である。我々も「山上に住む訓練をしておかねばならぬ」のであろうか? (了)

文と写真渡邉 慶知

写真の説明(上から)
■リヒャルト・シュトラウスの墓碑。一族が眠る。
■リヒャルト・シュトラウスのヴィラ

 
渡邉 慶知
当団楽団員・ホルン奏者
 

■目次
第1部:序章〜ガルミッシュ・パルテンキルヘンへ
第2部:Der Anstieg -- 昇っていく
第3部:Auf dem Gipfel -- 山の頂にて
第4部:Ausklang -- エピローグ